December 27, 2013

ガンダムビルドファイターズのリアル

HG 1/144 WGフェニーチェをどんな感じで仕上げようかなぁ…
トリコローレの機体、イタリアの伊達男、ナンパの道具にガンプラを使うヤツ、
というようなキーワードを並べながらイメージしたのはピカピカに磨き上げた機体。

F1マシーンのような雰囲気だろうか…
色合い的には80年代末のベネトンのような感じ?
スポンサーロゴみたいなのは入ってるんかなぁ?
というような妄想を広げながら完成形のイメージを固めていく。

オフセットされた翼はちょっと伸ばして主張を強くしようか…
ビームマントはキット付属の成型品でもいいけど、もっとなびいた感じが欲しいから
すけるくんとか透明粘土あたりをお試しで使ってみようか…
というような工作系のプランも膨らませていく。

1/144でオッドアイを印象的に見せるにはどうしよう…
ギリの範囲で目を大きくする?
ひさしを少しえぐって露出範囲を大きくする?
とりとめもなくそんなことを考えるというのも模型的なお楽しみだ、
と俺的には思っている。

頭部の破損箇所はどんな感じで仕上げよう…と思った時に思考が止まった。

これはBFモビルスーツのMG化の際にも議論されたところではあるのだが
GBF世界のMSはあくまでもガンプラなのだから
1/144キットを組み仕上げたものが一義的にはリアルとされるんではないか。
だとするとMGのビルドストライクってあり得なくない?

ビルダーが作ったガンプラは、もしホンモノがあったとしたら
こうなっているんじゃないだろうか…というアプローチでつくられた作品だから
MG化に際してのリアルはあくまでも劇中のビルダーが想像したモビルスーツを
1/100で作ったとしたらどんなガンプラになっているだろうか、
ということで商品像を構築するのが良いのではないか等々。

フェニーチェに話を戻すと、ガンプラに於いて何を持ってリアルとするのか、
というのはカワグチの場合、実際の製作プランに大きく影響する。
そもそもどうして付いた傷なのか?
破損した部分は成型色が見えてるんだろうか?
リペアできるはずなのにそのままにしてる訳だから
傷も含めて意匠として仕上げてるのかもしれない。
だったら通常のガンプラで表現するダメージ風にわざわざ仕上げているかも?

そんな些細なことなど傍から見るとどうでもいいことかもしれない。

それでもそういうところにこだわって色々思考を巡らすのは
義務感から来る訳でも、自分にルールを課しているからでもない。
単にプラモデルというプロダクトを前にしていろんなことを考えるのが楽しいからで
それを表現した時に画像を見た人はどう反応してくれるだろうか、
といったヤマっ気によるものだったりする。

折々に完成形のイメージを具体的にしておくといいですよ、
というような話もしてきた訳だが、
それがお作法になってしまうのはやはり楽しくない訳で、
些細なことを大げさに考えるバカバカしさこそが
自分にとっての模型趣味のお楽しみの根底にあるのかもしれない…
などと思う訳ですよ。

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August 07, 2013

学習と学問の違い

ホビー事業部では毎朝5分ほどの朝礼の際に
日替わり当番が1分ほどの話をするという風習がある。
最近見たこと聞いたこと、感じたこと、ネタ等々…
内容・テーマは特に決められている訳ではないのだが、
今日はセールス担当の若い衆が問屋様の担当の方との
世間話的な話の中で交わされた話をもってきた。

彼曰く、その問屋担当様は以前出版社に勤めておられ
哲学書などの担当をされていたとのことだが、
「学習と学問の違い、わかりますか?」
というのがその時の会話の主旨だったらしい。

既成の知識や事象などを学び習得するのが「学習」で
未知の領域の探求を学びとすることを「学問」とする…的なことは
教育問題などが語られる際によく引き合いに出される言葉ではある。

念のためにグーグル先生に確認してみたら
「学習」から「学問」へ。日本教育変革の時代
という日本の教育に関するトピックで我が意を得たりなページに出合った。

些か我田引水的ではあるが、この論旨を模型の国に持ってくる。

やはり模型の国にも勤勉で優秀な"学習者"は多くいらっしゃる。
でも俺的にはヤンチャな"学問"探求者でありたいと思うなぁ。

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June 25, 2013

模型の国の縄張り争い①

以前よりカワグチ的にはプラモデルと女性の親和性は高い、という話を折々でしてきた。
その一方で女性がプラモデルを嗜むことを珍獣を見るがごとく取り上げるメディアに対し
不審の目を持って見ていることも記してきた。

基本的にそのスタンスは自分の中では全く揺らいでいないのだが、
熱心にプラモデルを楽しんでらっしゃった女性モデラーがある日、模型の国から去ってしまう…
という例に度々接し、その辺りに思いを巡らせていて思ったのは
形骸化しているとは言ってもやはり「模型は男の趣味」という固定概念は根強いということ。

特に年季の入った模型趣味者の中には「模型道に女子供が入ってくんじゃねぇ」という
些かアナクロな求道主義があり、排他的傾向が強い方が少なくないのではないかと思ったりする訳です。
また、男が大半を占める模型の国に女性が入ってくるとオス化する人も少なくないようで
排他と下心の入り混じった直接・間接の攻勢に晒されれば、
女性にしてみれば、そりゃぁ耐え切れるものではなかろう。

今までは女性モデラーのコミュニティに対してはメディアの好餌という印象があり
カワグチ的には比較的ネガティブな見方をしていたのだが
絶滅危惧種が何の手段も講じず放置されていればそのまま絶滅の道を歩むを例にするまでも無く
彼女たちが模型の国に根付くためには
誰からも脅かされることの無い入植地は間違いなく必要なのだろう。

カワグチは女性モデラーに対して否定的と思われているROMさんもいらっしゃるだろうが
冒頭に述べた点は過去日記をサルベージしていただければ詳細が発掘出来ると思う。
今回はそこに現実的な視点が加わったということですよ。

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May 30, 2013

適正サイズという限界

造形感覚において適正サイズというのは人それぞれにあると思う。
自分の場合A4のカッティングマットの上で作業が出来る範囲のモノ
というのがそうなのだと思っている。

先日メガサイズのザクを仕上げた際に
ディティールの入れ方をどうするか正直少し迷った。
おそらく自分のサイズ感の中で"何をどうする"という
アプローチのコントロールが利く上限サイズはメガサイズあたりなんだろう。

純粋な趣味模型だけではなく仕事として模型と付き合っていることもあり
他のモデラーさんと比べると
比較的様々なスケール、サイズ感のキットを組み仕上げる機会もあるので
自分にとっての得手なサイズ感というのがある程度認識できているのかもしれない。

自分に限界を設定するというのは好みではないし
得手の範囲の中だけで帰結させるのは面白味に欠けるとも思う。
それでも自分の得手の範囲を認識した上でその範囲の外に討って出るのと
結果的に良い方向に転ぶかもしれないが
限界など意識せずに勝負するというのでは得られるものはかなり異なってくると俺は思う。

模型誌さんに掲載される様々な作例を拝見したり
コンテストで数多くの作品を拝見する中で見知った方の作品にも接する訳だが
ディティールの追加と省略、フォルムの見せ方、塗装の色合い、仕上げの効果等々
この人、何でこうしちゃったんだろう???と思うこともままある。


GBWC2013の日本大会の応募も始まった訳だが
他人に見せる作品を作る場合、
普段作り慣れたサイズ感の中で作っていただくのがベターであろう。

ここ一番を狙って大作を作る…というような場合は
普段やりなれていないことをやるんだから…
という意識を持って臨んでいただくのが宜しいのではないかと思う。
作っている最中に迷走することもあるかもしれない。
それを軌道修正した上で最終的に作品として仕上げるだけのスケジュール感も必要になる。

仕事の中で「やりたいことと出来ることは違うんだよ」という
上司からの言葉に遭遇したことのある人は少なくないと思う。
「理想論じゃ飯は食えねぇんだよ」と同義に使われる言葉でもあり
自分なども度々言われた言葉ではあるのだが、
改めて考えると
"出来ること"を底上げ出来れば"やりたいこと"の理想のカタチには近付ける訳で
出来もしないことを言っていても結局は言ってるだけに過ぎず
出来ることの限界を認識して+オンしていった方が結果は出せるのではないかと思う次第。

そうは言っても趣味領域では
戦車は1/35、艦船は1/700、航空機は1/72…というスタンスは変わらないんですけどねw

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April 18, 2013

とりあえず作ってみようや

先日YS秋葉原スケールショップで店長さんと話をしていてガルパン特需の話になった。

キットを買われた方が箱絵と違う…と悲嘆にくれるケースが続出してるということだが
確かに"P虎"などは初プラモの人にとっては途方にくれるだろうなぁ・・・とも思うが
そこで○mmプラ板を切り出して・・・などと改修点を示されても
多分不安は払拭されないのではなかろうか。

だったら厚手のケント紙でもキットの箱紙でもいいから箱絵を見ながら
ハサミで丸を切り出して両面テープで車体側面に貼り付ける、
同じように紙で砲塔上面の張り出しを作って貼り付けて塗装する・・・
ってことならまだ工作面での不安は軽くないかい?

塗装した後の質感が違っちゃうじゃん・・・と言われると思うけど
そんなことはあったり前のことで
実際やってみないとどれくらい違うかもわからなくないですか?

模型の国の人たちが使っているエポパテでもポリパテでも
スチロールとは質感違うんだから。
それを均すためにサフ吹いてるんでしょ?

技術論とか厳密な考証はその後でいいじゃん。

とにかく作らないとスキルは永遠に上がらない訳で
大洗戦車隊を並べたくて買ってるんだろうから
そこでいきなり高いハードルを前にして足踏みするより
"なんちゃって"でもなんでも作った方がいいと思うんだねぇ。

劇中で38(t)にヘッツァー改修キット・・・などという台詞が出てくるから
考証的なところに縛られる気分もあるとは思うけど(罪作りだとも思うけどw)
ディティールに目をつぶってとにかく作って
車体前面装甲板にマウスの履帯でガリガリ削られた跡を付けるだけでも
それはそれで良い作品になる思う訳ですよ。

それでもやっぱり気になる人は2台目ということで
他キットからパーツを持ってきて、ミリ精度の工作施して仕上げる。

徹底改修した大洗版ヘッツァーの前面装甲ガリガリにするの、嫌でしょう。
だったら最初っから割り切って作っちゃった方がスキルも上がるし
満足も得られるのでないかと思うんだけどなぁ・・・。

毎度の繰り返しで申し訳ないですが
模型はこう作らなければならない…なんてことは無い訳で、
自分が楽しめればそれはそれで良いでしょう。

コンテストに出すというような場合は
それ用に気持ちも切り替えて臨めばいい訳で
普段から"なんちゃって"で作り倒している経験を集大成して臨めば
誰からも文句言われる筋合いのない、自分でも納得できる作品が出来ると思うですよ。

ストイックに模型道を歩んでらっしゃる方からは
こんなことを言うこと自体が害悪を垂れ流してると思われるんだろうなぁw

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February 22, 2013

方便としての"リアル"という言葉

模型の国の住人が目指す方向性の大きな流れに"リアル"という志向がある。
よりホンモノに近づけるというのが模型的志向のひとつだとするなら
近づけば近づくほど"リアル"ということになる。

ホンモノの無いガンプラの場合は
もし本当にモビルスーツなどという戦闘兵器があったとしたら…
という仮定に立ち、その場合どういうものになるだろうと想像をめぐらせ
表現していくことが多くの場合"リアル"とされる。

お台場の18mさんを見上げながら、これが走り回り、飛び回り、転げ回り、
敵と撃ち合い、殴り合い、蹴り合うことを想像すると
"リアル"ってなんじゃい? と正直なところ思わなくも無い。

それを言い出すと全否定になるので、
そこには触れず模型として"リアル"を志向する、というのが
自分も含めた多くのガンプラモデラーではなかろうか。

関節部に油圧シリンダー風のディティールを入れるとか、
航空機のブレードアンテナのような意匠を入れてみるといった、
既知のディティールを入れることで機能を想像させるといった工作的アプローチや
塗装の剥がれや汚しを加えることで使用感を表現するといった塗装的アプローチなど
現在様々に見られる"リアル"に見せるためのアプローチは
"リアル"という記号を盛り込んでいく作業であると思っている。

極論すればホンモノっぽく見せるための方便が"リアル"という言葉であり
ホンモノっぽさというのも人によって感じ方が異なるので
これこそが"リアル"という絶対的な定義は実はどこにもない。

カワグチなどはスケールモデルを作りながらガンプラも作るという経歴を経ているので
その考え方、手法を使って"リアル"と思われる自分の中の回答を作ってきたつもりだが
大河原さんの設定線画に近付けることを、或いは、
「めぐりあい宇宙」の安彦さん作画のガンダムに近付けることを"リアル"とする考え方もある。

あんこうチームのIV号戦車の砲塔に劇中には無い控えめに描いた藤の花を入れるとか…
絶対負けられない生徒会の38(t)に勝手に履帯脱落防止板を付けてしまう…
というような暴挙もアニメの作品に登場する乗員やドラマを踏まえて想像を逞しくすれば
考えようによっては"リアル"の表現方法のひとつと言えなくもない。

個々人が求める目標を表現するためのアプローチは
すべからく"リアル志向"と言えるのかもしれない。
それを"リアル"の定義とするのはあまりにも乱暴だと思うので分けて考えるべきだとは思うが、
"リアル"の定義が曖昧であることには変わりは無い。

このあたりの"リアル"に対する意識の持ち様も
先日の"自由"、"自分に課すルール"の話とかぶってくる…と言うか
自分に課すルールのひとつでもあると思う訳で
そこがブレなければ作ってる最中に迷走したり暴走することも無いとは思うんだねぇ。

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February 20, 2013

模型の国に於ける"自由"

模型の国で時々聞かれる言葉に"自由"或いは"自由度"というのがある。

カワグチ的には普段から
「自分の趣味なんだから自分が思うように作ればいいじゃん…」
などと言っている訳だが、
「他人の目を気にして模型が作れない…というのは本末転倒じゃね?」
「こうしなきゃいけない的なお作法があるから模型はめんどくさい…って思い込んでない?」
というあたりが真意だったりする。

ここでポイントになるのは自分が納得できるか、満足できるか、というところで
ガルパンでおピンクのリーがあるんなら黄色いグラントがあってもいいかも…
などと思うのはその人の感性であってそれは自由の範疇。
本人が納得して作るんならそれでもいぃじゃん…でも、俺は作らないけど。
WLでマストを細く作り変えるの面倒だからパーツのまんまで作ります…というのも自由。
それで編成出来るくらい艦艇を揃えられるんならそれでもいいじゃん…俺は気にするけど。
というのがカワグチ的なスタンスだったりする。

こういう書き方をすると突き放したような印象を持たれるかもしれないが
自分だって模型の国にやって来た当初はそんな感じだった訳で
当時はそれなりに自分の中で満足はしていた。
ただ、興味を持てば持つほど知識欲が生じるのが人情で
知識が蓄積していくと納得のハードルは勝手に上がっていく。

ゼロ戦を真っ黒く塗って夜戦塗装だぜ、カッケぇ~と喜んでいた小僧も
知識が備わってくると、
零戦の夜戦型は20mm斜銃を装備していて…などと薀蓄をたれるようになり、
その段階で黒塗りのゼロ戦は急に色褪せ闇に葬りたくなる。
それが自分の中の納得度のハードルが上がった瞬間であろう。

黒塗りゼロ戦に喜んでいる小僧に
大人が「そんな零戦は無い!」などと冷や水を浴びせかければ
小僧は意気消沈して模型の国を去ることを決めるかもしれない。

誤りを正すのは知識を持つ者の努めだと思っている人はそれも止む無し…
と思うのかもしれないが、ハッキリ言って大人気ない。

「確かに夜戦用に黒く塗った戦闘機はあるけど、零戦の夜戦型は…」
と、道を示してくれれば小僧の知識欲は掻き立てられるはず。
否定するのは簡単だが、それは自分の知識を誇示するだけの自慰行為に過ぎないと思う訳で
他人の自慰行為に付き合う義理は誰も持ち合わせていない。

最初っから超絶技巧でスゴイ模型を作れるヤツなんてそうそういる訳ではなく
大人気ない人だって最初はブンドドに興じていたのかもしれない。
模型の国に長く住んでいるとそういう記憶は消去されがちだが
次代の模型の国の住人予備軍を育む上で
カワグチ的には"否定から生まれるもの無し"という意識は譲る気は無い。

だからと言って、
手抜きの言い訳として「どう作ろうが俺の勝手」と嘯くのもどうかとは思う。
特にキャラものの場合、本物が無いから自由に作ることが出来るという表現がよく使われるが
本当に自分で納得してるの?と、聞いてみたくなることはままある。

カワグチ的には模型の国で言うところの"自由"は
"自分の中でルールを作る自由"だと認識している。

パンターにDAKのマークは付けないし
赤城に天山を乗せることは自分の中で絶対に良しとは出来ない。
でも、VII号戦車の模型を作るのであれば暗視装置を付けてみよう…とか
unicraftのJu187を作るんならルーデルの機体にしようか…などとは思う訳で
考証という制約を課した中でどれだけ楽しめるかというのが自分の中のルールだったりする。

ガンプラにしても然り。
カワグチ的にはルウム戦役で戦ったGMなどというものは作れないし
黒い三連星のゲルググというのは全く食指が動かない。

そういう意味ではカワグチが自分に課している自由度というのは甚だ不自由なものかもしれない。

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February 14, 2013

自分に合ったツールに出会えるという事は幸いである

カワグチが先端に溝の切ってあるピンセットを30年来愛用している
というのは模型誌さんでも取り上げていただいたので
ご存知の方も多いかもしれない。

時計屋さんが微細な螺子を扱う用のピンセットらしいのだが
現在入手出来ないらしく、今度アスキー・メディアワークスさんが
"電撃ツール"として商品化されるということでご協力などもしていたりする。

まぁ、アレは特殊工具の類なので無ければ困るというものでもないのだが
普段使いのピンセットもピンキリで、
人によって合う合わないがはっきりあることを改めて認識した。

普段使っているのはこれまた現在絶版になっているのだが
プロホビーさんが以前販売していたピンセットで
はさむ時の固さ、先端のグリップの具合がカワグチ的には丁度良い具合だったので
ずっと愛用しているのだが、これが自宅作業机の上で遭難したらしく
見当たらなくなってしまった。

とりあえず代用に…ということで1000円ちょっとのピンセットを買ってきて
使ってみたが、先端のグリップがぜんぜん効かない。
しょうがないので以前買ってあまり使ってなかった
1000円弱のピンセットを引っ張り出して使ってみると
グリップの効き具合が全く違う。

はさむ時の固さがイマイチしっくりこないということでお蔵入りしてた訳だが
改めて使い比べてみるとここまで違うのか…ということを改めて思い知った。

ツールの使い勝手というのは人によって異なるし、用途によっても変わってくる。
値段の多寡でも判断できないのが難しいところではあるのだが
総じて良い道具というのはそれなりのお値段がするもの。

普段「お気楽に作ろうぜ」と言っているカワグチだが
もちろんピンセットが無くても模型趣味は楽しめる。
ただ、あった方が効率的だし精度も上がるのも間違いない。
どうせ買うんなら自分に合ったツールを見つけていただきたいところではある。

これはもうお店の方とご相談だが
ピンセットなどはお試しさせてもらえれば
自分に合ったものに巡り会えるかもしれない。

ちなみに道具ケースの中には
普段使いでは全く使用してないピンセットが4本あった。
さて、帰ったら遭難中のピンセットの捜索隊を派遣するか…orz

20130214


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January 30, 2013

"How-to"嫌いだけど、全否定はしないよ

趣味世界の模型なんだから好きに作ればいいじゃん…
というのは無責任な言葉だとも思う。

趣味としてある程度志向が定まっている人ならいざ知らず
初めましての人にとっては、何をどうしていいのか、
キットの他に何を買ってくればいいのか、
その辺から模索しなければならなくなる訳で
その際に道を示してくれるガイドはやはり必要になる。

初めて訪れた土地で目的地の名称だけ知らされ駅前に放り出されたら
歩きで行けるのか、バス使うのか、タクシーで行かなきゃいけないのか
最初の段階で絶望感に見舞われることになる。

駅員さんに聞く、交番で聞く、駅前の地図を見る…
何らかの形で手掛かりを得て、初めて目的地へ行けそうな気がしてくる。
その町に住んでいる人なら誰でもが知っている場所でも
初めて訪れた人には基礎情報そのものが無い。

パーツの切り出しはニッパーがいいよ…
カッターとヤスリは用意しよう…
といった基礎情報も、初めましての人にとっては得た方がよい情報であり
その点でHow-to的なものは確かに必要ではある。

ただ、だからこそ
技法を羅列しただけの通り一遍のHow-toは迷惑だとすら感じる。

模型誌さんでツール特集やHow-to特集に人気があるのは知っている。
目的があって、手法の選択肢があって、方法論が提示される、
シンプルに作ることだけを記すとしても
個々にそんなことやってりゃ
紙幅がいくらあっても足りないことくらいはわかっている。
製作のアプローチは十人十色だから
全てをフォローできないこともわかっている。
だからって選択肢を伏せて「こうしなさい。」と言い切るのは…ねぇ。

駅前で通りすがりの人に目的地までの行き方を聞いたら
簡単な道順とともにタクシーに乗ることを薦められたとする。
運転手に目的地を告げたらワンメーターで無事着くことが出来た。
でも道はそんなに複雑じゃなく歩いて15分くらいの場所だった。
初乗り料金を支払うという負担を負うか、
15分くらいだったら歩けるぜ…と歩いていくかの判断は人によって異なる。

タクシーで行ったら工事中で遠回りさせられちゃったよ…
というようなアクシデントに見舞われるリスクだってある。
健脚な人でも、5年前の地図を頼りに行ったら道が変わってて彷徨っちまったぜ…
更新していなければ役に立たない情報だってある。

結局は受け手が与えられる情報を見極めることが出来るかどうか、
という点に帰結するのかもしれない。
ただ、その時に見極めるための材料は用する、若しくは可能性は示唆しといて欲しい訳。

右も左もわからなければ、目的への道とされるものをトレースすれば達成はできる。
"真似から始める"というのは経験を得るためには必要なことでもある。
しかし、その場合、トレースしただけでは真似る対象以上のものにはならない。
経験が浅ければ往々にして劣化コピーくらいにしかならない。

1回は真似て、2回目以降はやり易いように自己流を加えていけば
出来上がったものはコピーかもしれないが、そこには創意が蓄積する。
創意の蓄積が溜まっていけばアレンジの効果が効いてくる。

時間短縮が出来た…
精度を更に高めることが出来た…
仕上げの状態は俺の方が良くね???

効果の発露は様々だろうが、その時、それはもうその人固有のアプローチになってる。
マシーンならぬ人間は工程において思考を加えることが出来る。
辟易とする単純作業の繰り返しを簡略化する知恵も持っている。
失敗することもあるかもしれないが、
加工性の高いプラモデルは大概のことならリカバーすることが出来る。
新しい試みを行えば成否に関わらず経験の引き出しは増えていく。
引き出しが増えれば出来ることが広がってくる訳で
創意工夫の表現も広がっていくし、発想力を高める視野も広がってくる(多分)。
模型趣味の中にお楽しみポイントが増えることにもなる。

修行のようにストイックに向き合わなければならない時もあるかもしれない。
それでも訳がわからず難行苦行に向き合うのと
目的・目標を見据えて敢えて難行苦行に向き合うのでは
その意味合いは大きく異なるはず。

俺がこれだけ苦労してるんだから、お気軽にやってる奴は許せねぇ…
と、難行苦行を必要以上に励行する方もいらっしゃるが
それはもうHow-toとは異なる次元の大きなお世話。

ツール、マテリアル、キットの素性は年々日々刻々と変わっていく中で
基礎情報として知っておいた方が良いことはあるが
与えられる情報に依存しきってしまうというのもどうなんでしょう…ねぇ。

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January 29, 2013

疑問を持つことから始めてみませんか?

模型の国にも定番とか鉄板とよばれる作業、技法なんかがあったりする。
誰がいつ定義したのかは定かではないが
そうした定番・鉄板を信奉し実際に従っている人たちは案外多い。

サフの例を出すまでも無く、
カワグチ的には時折そうしたモノに対し破壊的な毒を撒き散らすことがある。
「自分はやらないけど…」
と、おとなしく言っていれば可愛気があるのかもしれないのだが
そういう気の使い方はしないんだよなぁ…面倒臭がりだから。

しかし、定番、鉄板と呼ばれる作業や技法に対し
盲信するのではなく「なんでそんなことするの?」と立ち止まり
自問するのは悪いことではないでしょう。

サフの時にも記したが、「なんでサーフェイサーを吹くの?」
という疑問を持てば、
パーツ表面の傷やヒケを見つけ整形するため、
塗装する時に成型色の影響を受けず発色良く塗装を仕上げるため
といった目的があることを認識することが出来る。

目的を達成するためには様々な方法がある訳で
達成出来るのであれば自分が一番やり易い道具を使い、方法を採れば良い。

何でスミ入れなんてするの?
何でエッジを立てるの?
何でABSは塗装しちゃいけないの?
何で関節を塗装するとプラが割れるの?
  ・
  ・
  ・

猜疑心を持てと言ってる訳ではないが
"どちて坊や"のように「どちて?」と自問することで
本質に近付くことが出来るとカワグチなどは強く思う。

本質・原因がわかれば対処法は考えられる訳で、
パーツ表面の彫刻を引き立てる、
意図的に陰影を表現するためにスミ入れを行うのであれば
スミ入れペン一択という訳ではなく
塗料を使おうがシャープペンを使おうが色鉛筆を使おうが
やってみれば良いのである。

手段は目的を達成するためのツールであって
手段を行使することが目的化するというのはちょぴっと違くね?

他人に「どちて?」、「どちて?」と聞いて歩くと
ただの鬱陶しいいヤツになって「ググレカス!」と言われてしまうので
そこはあくまでも自問自答するのがよろしい。

サフはくせぇから吹きたくないス…という人は
使わなくても済む方法を探せばよい。

模型誌作例などを見てもABS関節を塗装してない作品はほぼ無い訳で
なんでABSは塗装するとパーツが破損しやすくなるのか
その理由を認識していれば、溶剤の浸透を最低限に抑える方法は色々ある。

もしその場で回答に思い至らなかったとしても
疑問を持つことで意識として残り、何かの折に回答に行き着くこともある。

丸呑みすれば楽でいいのかもしれないが
とりあえず"どちて坊や"になってみないか?

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