震災から3週間。
ニュースの焦点は福島第一原発に集まっているが
震災被災地では日米合同での行方不明者の捜索とご遺体の収容が行われている。
先日Web友がFBに書き記しているのを見て
震災発生後すぐに医療スタッフとして
甚大な被害の出た陸前高田に入られた看護師さんのブログを知った。
読み進めていくとニュースでは報じられない現地のリアルな様子が綴られていた。
海外のニュースでは生々しい被災地の様子が報じられているらしい。
"死"というものを必要以上に忌避する文化のようなものが
日本人の精神にはあるのかもしれない。
それが必ずしも悪いことだとは思わないし、
事実をありのまま全てを報ずる必要があるかと言えば、
ある程度のフィルターは必要なのではないかとも思う。
ただ、現状の不自然なほどに現実的な"死"というものを避けた報じられ方は
ニュースのみを情報源とする我々と被災地の方々との間に
震災被害の感覚の温度差を生じさせるのではないかと思う。
万単位の数字で表現される死亡者、行方不明者というのは正直なところ想像出来ない。
被災者の方には大変申し訳無いのだが
情報としては知っていても震災被害の現実感が伴わない…
という人も少なくないのではなかろうか。
TVカメラに向かって支援活動に謝意を述べてらっしゃる方たち
瓦礫と化したかつての街で復興に向けた強い決意を語る人たち
避難所で乏しい物資を譲り合いながら分け合ってらっしゃる方たち
画面に映し出される現在の被災地の方々の様子を拝見すると
最悪の状態を脱されたかのような錯覚を覚える。
しかし、今は気丈に振舞ってらっしゃる方たちだが
大人も子供も、男性も女性も全ての方たちが
この3週間に凄惨な被災地の様子を目の当たりにされたはず。
そして、多くの方が大切な人、大切なものを失われている。
4月を境に心機一転と気持ちを切り替えた人も多いだろう。
被害の無かった人たちが日本の経済活動を支える必要性はTVでも折々に耳にする。
萎縮していては活力は戻らない…というのはその通りだと思う。
被災地の方たちが生きるために頑張ってらっしゃるのだから
我々はその環境が良くなるよう頑張っていかなければならない。
ただ、震災被害の実情を知らない我々は
ニュースで報じられなくなると記憶を風化させてしまうきらいがある。
自分から情報を求める姿勢を持ち、単なる知識としてのニュースではなく
想像力を働かせて感覚差を少しでも埋めていきたいとは思う。
日本列島に起居する限りどこにいても
今回のような災害に見舞われる危険は常に孕んでいるのだから。
■ 陸前高田市で医療スタッフとして従事された看護師さんのブログ
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