徒花の果たした役割
去年の12月に自主誕生日イベント的な催しを
同じ誕生日のスタイルキューブのなみぞうさんと一緒にやった訳だが
その折に自分年表を作ることになり、改めてこれまでを振り返ってみた。
年度ごとにトピックを埋めていくと微妙な記憶違いなどもあり
併せてその折々の記憶を更新させることが出来た。
今年ガンダム35周年、そして来年ガンプラ35周年ということもあり
昨年末あたりから生き証人的な形で様々な媒体からのインタビューを
お受けする機会が増えている。
記憶を更新させていたのが功を奏して
部分的ながら確かな記憶に基づくお話をさせていただいている。
ガンプラ35年を振り返る的な企画は
各社各ご担当者によりその切り口や解釈が微妙に異なる訳だが
それは担当された方の経験や価値観に拠るもので
商品個々への思い入れなども人によって違うことがリアルに感じられて
取材を受ける側としてもそれはそれで面白かったりする。
本放送終了後に商品が発売され、再放送と劇場版三部作という映像コンテンツ、
HJとボンボンという異なる読者層を持つ出版メディアを通じた情報発信を背景に
ガンプラブームと呼ばれるムーブメントがあり、
劇中MSの商品化に次ぎMSVそしてTV続編のZガンダムに至る過程というのは
概ね誰しもが思い起こすことが出来るガンプラのメインストリームではある。
その流れの合間にリリーフ的に現れた
リアルタイプモデル、メカニックモデル、情景セットといった商品は
商品化の進展に伴いやり尽くした上でのメーカーの試行錯誤として認識され
徒花として記録にとどめられているに過ぎない感がある。
自分も実際にそういうことだとは思うのだが、
あのタイミングであれらの商品が存在したことには意味があったんじゃないか…
などと最近は思ったりもする。
同スケールでコレクションする、更に設定や劇中のイメージに近づけるために改造する、
というのはガンプラが世に出た時から今に至る代表的なガンプラとの向き合い方だが
シーンを再現・表現するディオラマ、内部メカの作り込み見せるカットモデルといった
それまでの模型シーンで培われてきた手法も
ガンプラの楽しみ方の選択肢として用いられた。
しかし、プラモデル初体験がガンプラであった子供たちにとって
そうした模型の国の様々な楽しみ方の手法は毛頭知る由もなく
雑誌を飾る作例で初めて接する選択肢であったという子も少なくなかろう。
TVと違う好きな色で塗っていいんだ…
小さなマークをいっぱい入れるとカッコよくなる…
弾が当たればガンダムでも壊れるんだ…
対決してるところを作ってみたい…
様々な思いを抱きながら作例を見て真似した子も多かったはずだが
もとより初めての子が最初から上手くできるはずはない。
リアルタイプモデル、メカニックモデル、情景セットに
コレがあれば出来るかもしれないという気持ちを抱いた子もいたかもしれない。
雑誌情報とは縁があまり無かった子はそれら商品に接して初めて
塗装、マーキング、ディオラマ、カットモデルといった
模型的選択肢を認識した子もいたかもしれない。
メーカーの窮余の上での商品ラインナップであったかもしれないそれら徒花は
ガンプラの模型としての選択肢を提示するものでもあり、
ガンプラの持つバリューを商品として広める役割を結果的に担っていたように思える。
翻って現在のガンプラシーンに於いて我々はガンプラの持つバリュー、
楽しみ方の選択肢をお客様に発信できているだろうか。
「ガンプラは自由に作っていいんだ!」というGBFのメッセージは
優れたビルダーであるセイくんの行き詰まりを越えたところで至った境地な訳だが、
"自由"というのも存外難しいもので、
GBF16話で初めてガンプラを作ったレイジに「自由に作っていいんだよ」と言っても
その"自由"というモノがどういうものか多分見当がつかないんじゃないだろうか。
GBF5話の冒頭でラルさんはレイジに対し
ガンプラのバリューはガンプラファイトだけではないことを諭した。
意識的に"自由"なものを作ろうとするとそこにはある程度の知識や経験が求められる。
自分が子供の頃に壊れた模型を集めて多砲塔超戦車や双胴超戦艦をでっちあげたり
委員長ちゃんがベアッガイさんの中に綿を入れるような
無邪気な"自由"とは若干趣が異なる。
それはそれで大事な資質なのだが、いろんなことを知ってしまっている今の自分らには
なかなかそうした無邪気な"自由"を求めることは難しい。
少なくとも"自由"に作るためのきっかけは
やはり我々がガンプラの可能性を考え、選択肢として発信すべきものであろう。
そうした選択肢を受け取ったお客様がどれを選び、
または敢えて選ばずガンプラを楽しんでいただくか、というのも"自由"の範疇にある。
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