方便としての"リアル"という言葉
模型の国の住人が目指す方向性の大きな流れに"リアル"という志向がある。
よりホンモノに近づけるというのが模型的志向のひとつだとするなら
近づけば近づくほど"リアル"ということになる。
ホンモノの無いガンプラの場合は
もし本当にモビルスーツなどという戦闘兵器があったとしたら…
という仮定に立ち、その場合どういうものになるだろうと想像をめぐらせ
表現していくことが多くの場合"リアル"とされる。
お台場の18mさんを見上げながら、これが走り回り、飛び回り、転げ回り、
敵と撃ち合い、殴り合い、蹴り合うことを想像すると
"リアル"ってなんじゃい? と正直なところ思わなくも無い。
それを言い出すと全否定になるので、
そこには触れず模型として"リアル"を志向する、というのが
自分も含めた多くのガンプラモデラーではなかろうか。
関節部に油圧シリンダー風のディティールを入れるとか、
航空機のブレードアンテナのような意匠を入れてみるといった、
既知のディティールを入れることで機能を想像させるといった工作的アプローチや
塗装の剥がれや汚しを加えることで使用感を表現するといった塗装的アプローチなど
現在様々に見られる"リアル"に見せるためのアプローチは
"リアル"という記号を盛り込んでいく作業であると思っている。
極論すればホンモノっぽく見せるための方便が"リアル"という言葉であり
ホンモノっぽさというのも人によって感じ方が異なるので
これこそが"リアル"という絶対的な定義は実はどこにもない。
カワグチなどはスケールモデルを作りながらガンプラも作るという経歴を経ているので
その考え方、手法を使って"リアル"と思われる自分の中の回答を作ってきたつもりだが
大河原さんの設定線画に近付けることを、或いは、
「めぐりあい宇宙」の安彦さん作画のガンダムに近付けることを"リアル"とする考え方もある。
あんこうチームのIV号戦車の砲塔に劇中には無い控えめに描いた藤の花を入れるとか…
絶対負けられない生徒会の38(t)に勝手に履帯脱落防止板を付けてしまう…
というような暴挙もアニメの作品に登場する乗員やドラマを踏まえて想像を逞しくすれば
考えようによっては"リアル"の表現方法のひとつと言えなくもない。
個々人が求める目標を表現するためのアプローチは
すべからく"リアル志向"と言えるのかもしれない。
それを"リアル"の定義とするのはあまりにも乱暴だと思うので分けて考えるべきだとは思うが、
"リアル"の定義が曖昧であることには変わりは無い。
このあたりの"リアル"に対する意識の持ち様も
先日の"自由"、"自分に課すルール"の話とかぶってくる…と言うか
自分に課すルールのひとつでもあると思う訳で
そこがブレなければ作ってる最中に迷走したり暴走することも無いとは思うんだねぇ。
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