40年前の記憶
カワグチが生まれ10歳まで住んでいた門司。
近年はレトロタウンとして門司港への観光客招致に北九州市は一所懸命のようだが
カワグチの思い出の地は門司港の一駅となりの小森江。
以前、グーグルマップを見ながら通っていた幼稚園が無くなっていることに気付き
少なからずショックを受けたことは当ブログでも記したが、
それ以来、何となく門司に行ってみたいと漠然と思っていた。
今回せっかく博多にいるのだから・・・ということで
1時間半ほどの電車旅で小森江に行くことにした。
極めて小さな駅舎の
JR小森江駅に着き
まず向かったのは
かつて通った
幼稚園のあった
教正寺。
地図表記で教正寺が
今も健在というのは
知っていたが
本堂はほぼ当時の
面影が残っていて、画像には写っていないが鐘も多分当時の面影のまま。
かすかに残るあそこで誰と何をしたという記憶がうっすらと蘇る。
街並みも大きく変わってはいるものの歩く道にはなんとなく記憶が残っている。
かつての幼稚園舎の無くなった
教正寺の境内を歩き回った後、
4年生の夏まで在籍していた
小森江西小学校へ向かう。
増改築によりレイアウトは
変わっていたものの
小学校も当時の印象と
あまり変わらない。
関係者以外立ち入り禁止
という大書きされた表示に校庭に踏み込むことはしなかったが
校舎裏の方とか行ってみたかったなぁ。
小学校のすぐそばには
大山津見大神を祀った
羽山神社がある。
秋祭りの時には
鳥居の辺りから山車を引いて
町内に出たんだよなぁ。
石段の脇には
神輿蔵が並んでいるから
今でも秋には
神輿や山車が出るんだろうか。
小学校あたりからかつて住んでいた家の方へは斜度のある坂道を登ることになる。
息が切れるとは言わないが、それなりの坂道で
今思うと幼稚園の2年間、小学校の3年ちょっとの間、
この坂道を毎日昇り降りしていたのかと思うと些か驚きを禁じ得ない。
坂を上り、微かに見覚えのあるかつてのご近所さんの家並みを確認しながら
既に更地となり草生え放題の住居跡から子供の頃に眺めた関門海峡をしばし眺める。
グーグルマップには写っていた通称"警察アパート"も既に無く更地になっていた。
守下君とか秋吉さんとかどうしてるかなぁ・・・などと幼馴染の名前なんかも思い出したり。
警察アパート跡の向こうには
小森江貯水池跡がある。
親父と魚釣りに行ったり
亀を拾った大きな貯水池は
今は水も減り
レンガ造りの取水塔のみが
かつて貯水池だったことを
物語っている。
この貯水池跡は
綾瀬はるか主演の"おっぱいバレー"でロケが行われた所でもあり
風景として憶えている人も多いかもしれませぬ。
きれいに草が刈られた堰堤の斜面にあるレンガ造りの水門も当時のまま。
この斜面、昔は草が茂っていて友達とダンボールを持って駆け上がり草滑りしたんだよなぁ。
今日は午後から用事があったので、門司での滞在は1時間半ほどだったが
いつか大里や門司港の方までゆっくりと回ってみたいもんだ。
矢筈山にも登ってみたいし布刈神社の方にも行ってみたい。
当時の友達たちはどうしてるんだろうなぁ・・・小森江にいる人もいるんだろうか。
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Comments
旧い記事に書き込みで失礼します。「小森江・羽山」で検索していてたどり着きました。
当方、昭和45年から49年にかけて羽山の丘に麗しく暮らしながら(意味お分かりですよね?笑)、教正寺幼稚園、小森江西小学校に通っていた者です。歳は若干下かもしれません。
当時住んでいたのは、記事中にある今は無き警察アパートで、窓から海峡を行き交う船を眺めながらくらしていました。当時のご自宅とすごくお近くかも知れませんね。幼かったので近所の家もあまり覚えてませんが、川を越えた道の並びに小笠原さんとか川口さんとかあったような気がします。秋吉さんは確か姉妹で姉の同級生だったかな・・
二年生の時分に門司を離れたので、私にとって小森江はセピア色の記憶の彼方ですが、40数年経って未だ印象の強い街でですね、裏にそびえる風師山と矢筈山の風景が夢に出ます。
幼稚園や学校への道筋を思い出しますね。田中店(たなかみせ)から左斜めにわき道を進むと幼稚園で、石畳のような道をまっすぐ下ると小学校、神社脇から川沿いの階段の道を帰ったりもしてました。
アパート裏の書道の先生の庭に忍び込んでザリガニ取りをしたとか、幼稚園の本堂のお泊り行事とか芋ほりとか、遠足は下関マリンパレスとか・・・・思い出すときりがない。
と、失礼しました。写真を見ながらしばし物思いにふけつつ。
Posted by: black arrow | October 08, 2014 12:45 AM