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June 20, 2006

罪と償い

山口母子殺害事件の上告審で最高裁は無期懲役という高裁判決を差し戻す判決を下した
実質的には死刑相当という判断に拠るものであろうことは疑いの余地はない

本件に限らず凶悪事件の裁判に関わる論議として死刑制度の是非が必ず論じられる
今回の弁護人である安田某は死刑廃止論者として著名な方であると聞く
自身の主義主張は貫くのは結構だが
それは市民運動でもなんでもいいからそっちでやってもらいたい

被告人弁護での殺意を否認する論拠として
母親の殺害に関しては
「被告が単純に甘えたい気持ちから母親に抱き着いたところ
 大声を出されたので口をふさいで落ち着いてもらおうとした。
 しかし不幸な事に手がずれ込んでしまい、首が締まり母親は死んでしまった。
 これが殺害行為と言えるのだろうか。」
子供の殺害に関しては
「赤ん坊をあやそうと、首にちょうちょ結びをしておめかしをしてあげた所
 不幸な事にきつく締まり過ぎてしまい、赤ん坊は死んでしまった。」
というような誰が聞いても納得しかねる詭弁を弄し
日弁連の会合を理由に上告審の口頭弁論を欠席するという
審理の引き延ばしを図ったとしか思えないような訴訟戦術を繰り広げている

正常な審理が行い得ない状況を弁護側が作り出しておいて
判決に物申すというのは如何なものか
裁判を自身の主義を主張するためのツールとしか思っていないんじゃなかろうか
そう思われても仕方がない

弁護人だから被告人利益を守る、というのもおかしな話で
本来裁判で審理されるべきは原告、被告両側の言い分を明確にし
事件の本質、事実関係を顕かにしたうえで
事実に基づく罪に対して相応な罰を課するものではなかろうか

俺的には死刑制度に対し積極的に肯定も否定もしないが
量刑の軽減に際し言われる「更生の可能性」については激しく抵抗感を感じる
服役中は生き延びるため、塀から出るためには何でもするだろうし
接見する人に対しては更生を訴える
それが本心なのか表層的なものなのかを見極めるのは難しいところだろうが
社会生活を営む我々にとっては更生の可能性よりも再犯の可能性の方が問題で
自分が事件に巻き込まれその容疑者が実は・・・というのは勘弁してもらいたいのである
重大事件を犯した者が再犯だった場合
前科を結審させた裁判官、弁護士、検察は応分のペナルティを負っていただきたいものだ

死刑制度の持つ抑止力というのは否定できず
無期懲役なら刑務所でおとなしくしていればすぐに出てこれる
という司法が舐められた状態がこそが問題で
18歳未満なら殺人を犯しても死刑は無い、などと嘯く輩は後を絶たず
少年法による未成年者保護が凶悪事件の低年齢化を促している側面も
残念ながら否定出来ない
死刑を廃止するなら終身刑の導入も併せて検討すべきだろうし
未成年者の凶悪犯罪に対しては終身刑の適用も考慮すべきではなかろうか

本件被告は最高裁判決に接し
「自分のしたことは死んでも償えることではないし、謝罪しても許されることではない。
 たとえ償いきれなくても、生きていることが許されるのなら
 償いの気持ちを表し続けていきたい。」と述べているらしい

言葉で取り繕う事は如何様にでも出来る
言質が取られる愚を弁護側が冒すとは思えないが
具体的に何を以って償いとしようと思っているのか
明言し実行していただかないと信用はしてもらえないだろう

償いは刑が確定しなければ出来ないというものではない

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