観劇

2017年5月29日 (月)

日本の始まりの物語

劇団歴史新大陸 第十回本公演「古事記-日本の始まりの物語-」を拝見した。

古事記という一大叙事詩を舞台演劇としてどのように観せてくれるのか、
というのは非常に興味深いところだった。
本日樂日を迎えられたということで書いてしまうと
イザナギとイザナミの国つくりから三貴神の誕生までは
ナレーションにてダイジェストが語られ、アマテラスの岩戸隠れから舞台は始まる。
その後、スサノオの高天原追放、クシナダヒメとの出会い、八岐大蛇退治、
世代が進みオオナムジと因幡の白兎、スセリビメとの駆け落ち、
オオクニヌシの国造り、国譲りを巡る高天原と中つ国の対立、国譲り
そして天孫ニニギの中つ国への降臨までが演じられた。

コンパクトにまとめられた「日本の始まりの物語」は長大な話を
非常にうまくまとめた舞台だったと驚きを感じた。

エピソードだけでも数本分の作劇にに耐え得る内容を2時間余に圧縮する訳で
その点からするとスサノオが八岐大蛇を退治するまでの流れはやや駆け足に思われ
観る側もストーリーを追いかけるのに精一杯となり
各神々への感情移入を促す個性の見え方はやや希薄な印象を受けた。
高天原で乱暴狼藉を働くスサノオのエピソードは語りの中で消化されたためか
荒ぶる神としてのスサノオの存在感がやや弱く感じられたというのも正直な印象。

しかし、因幡の白兎の個性が強く立っていて
以後のオオナムジを中心に動いていくストーリーはドラマチックではある。
オオナムジとスセリビメが出雲に向け根の国を後にするくだりは実に印象的で
スセリの父神である愛すべき乱暴者スサノオの父性は愛おしく感じられる。

理想の国造りを目指すオオナムジ改めオオクニヌシだが
優し過ぎるがゆえにやや優柔不断にも思えるオオクニヌシの姿には
自分などは三國志演義の劉備の姿が重なってしまう。
劉備の蜀は劉備没後に徐々に国力は衰え、やがて滅ぶことになるのだが
出雲ではオオクニヌシが2人の息子に治世を任せていたところに
高天原から国譲りを迫られ結果的には屈することになる。

流血の事態を避けたい最高神アマテラスの懊悩は人間的で
演じる鳳恵弥さんの凛とした立ち居振る舞いと
コミカルに表現されるアマテラスのギャップがいい塩梅で
人間味溢れるアマテラスとしてキャスティングの妙が感じられた。
全体に音響が強く感じられ台詞と被ると聞き取りにくい箇所もあったが
恵弥さんの声の張りは強く、その辺りもアマテラス然としていたように思えた。


舞台を見終えて断片的に記憶していた古事記のエピソードが
神々の名前と一体となり消化できたような気がする。
観てよかった…という思いと共に、
改めて「古事記」を紐解いてみたいとも思うが、
「古事記」というとお勉強的な響きがあり腰が引けてしまう向きもあるやに思う。
しかし、語られる話や登場する神々は実に人間臭く、
ギリシャ神話と神々に見られる人間臭さとそれほど変わらないようにも思える。
思う以上に敷居は低いのではなかろうか。

天皇陛下の後継に関する話題が様々に言われる昨今、
皇室の系図を辿っていけば古事記の世界に行き着く訳で
万世一系という考え方には異論もあろうが、学術的な考証・検証とは別に
祖神である天照大御神から邇邇芸命の天孫降臨を経て
神武天皇より今に至る皇室の存在は日本人の精神形成の根底に根付くものであり
皇室の話題を耳にした時に太古の神々にまで思いを馳せる…
というのは全然アリだと思う。

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2016年10月12日 (水)

劇団唐ゼミ☆ 第26回公演 【腰巻お仙 振袖火事の巻】

1年ほど前、平素より知己を戴いている方からのご案内を戴き、
新宿中央公園で上演された劇団唐ゼミ☆の「君の罠」を拝見した。

そして今、新宿中央公園に再び青テントが設けられ
1969年に唐十郎氏の紅テント"状況劇場"により上演された
腰巻お仙  振袖火事の巻」が約半世紀を経て上演されている。

テントという日常とは乖離した空間に様々に凝らされた仕掛け、
指呼の間でエネルギッシュに演じられる不条理劇。

1969年と言えば自分などはまだ8歳、
九州の片隅で昭和ど真ん中に生きていた時代。
そんな昭和の空気を色濃く感じながらも
青テントの外は平成の御代という不思議な感覚を覚える。

「君の罠」が演者さんたちの熱演によりなる
たたみかけるような言葉とスピーディーな展開に圧倒されたのに対し
本作では"狂気"が徐々に演者さんたちの間に感染していくような凄みを感じた。

カオスに彩られながらも舞台はヒロインと主人公(?)に収斂していき
クライマックスの大仕掛けとともに幕を閉じる。
その瞬間、語彙の無い自分には「スゲェ…」という言葉しか思い浮かばないが
そこには或る種のカタルシスがある。

そして非日常から現実に強引に引き戻される。

折しも「君の名は。」で描かれた透明感溢れる新宿の描写、
本作で描かれた相反するように思える狂気と闇を孕んだ新宿、
どちらが正しいという訳でもなく、どちらもが新宿の顔なのだろう。
そして新宿だからこそ、この芝居の舞台足り得るのかもしれない。

そして何よりアップデートはされているのだろうが
このような題材、表現が1969年に描かれていたことに驚きを禁じ得ない。

…などと、こんなタイミングでテキストを上げている訳だが
公演は10/12を以て楽となる。

残すところあと1ステージ。
我らが鳳恵弥さんも出演されているのだが
普段の役とは明らかに異なる佇まいは
必ずしもメイクのチカラだけによるものでは無かろう。

今宵、新宿に足を向ける時間があるようなら
中央公園の水の広場の青テントを覗いてみてはいかがだろう。

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2016年6月10日 (金)

劇団クロックガールズ 第13回本公演【コメディカルナイト】

普段そんなにドラマなどを見ている訳ではないのだけれど
医療ドラマと法廷サスペンスは俺的にはかなり視聴頻度が高かったりする。

今回採り上げさせていただくのは医療ドラマの一編
劇団クロックガールズの「コメディカルナイト

"あらすじ"によれば
 「倒産の危機に瀕した個人病院。
 やる気も知識も腕もない3代目院長のもとには、これまた
 やる気のないコメディカルスタッフ(医療従事者)しか残っていなかった。
 そんなポンコツ病院の夜間救急外来で、ある夜、重大事件が発生!」

とのこと。

芝居冒頭に研修医クンが登場してくる。
この研修医クンが軸になって先輩・同僚・患者さんに翻弄されながら
お話は進んでいくんだろうなぁ…などと想像しながら観はじめる。

すると舞台には次々とコメディカルスタッフが現れ、
次々とトラブルに見舞われた外来が訪れる。

少なくない人数の登場人物それぞれ個性が強く
個々にエピソードを背負っている訳で
トラブル含みのお話はどんどん広がっていくのだけれど
テンポよく繰り広げられるドラマは散漫になることも無く
ドラマが進展していく中で様々なトラブルも消化されていく。

張られた伏線が未回収で終わるとそれは観る者にとっては消化不良感が残る。
逆に回収のされ様がきれいに腹落ちするとそれだけでも快感だったりする。
そこで発せられる台詞ひとつが冗長な解説に勝る人物像を紐解いてもくれる。
そうして感じられるキャラクターはみな愛おしい。

様々なトラブルを解消するために関わる人たち、
費やされる労力・時間はその程度により異なるが
それもメリハリが効いていて心地よい。
中でも最大級のトラブルにどうオチを付けてくれるのか…
という期待もそこから生まれてくる。

観る人だれもが身に覚えのある"夜のテンションの昂り"の中での混乱、
最終段階での場面転換は時間の経過だけではなく、
朝を迎え落ち着きを取り戻した心理から
平常を取り戻していく状況に一変させてくれる。

夜中と早朝のコントラストは
置かれた状況に変わりはなくても、様々なトラブルに見舞われても、
そこがそれぞれの人物にとっての唯一の居場所であることを感じさせてくれる。
展開の美しさとでも言うのかな…
ある種の様式美のようなものに触れたような気さえする。

観終わったときに感じた気持ち良さはそんなところにあるのかもしれない。
などというネタばれを何とか回避しようとした素人評論は…
まぁ何の参考にもなりませんが、
実に面白いお芝居ではありましたよ。

詳細は劇団クロックガールズ公式サイトでご覧くださいませ。
日曜まで上演中ですのでご興味のある方は是非。

チケットお申し込みの際には
備考欄にキャスト名「鳳 恵弥」さんということでヨロシク!

劇団クロックガールズ公式サイト

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