「母の法廷」
個人的に医療ドラマ、法廷ドラマというのは好きで
TVで放映されているとついチャンネルを合わせてしまう。
圧倒的に不利な状況から諦めることなく、
支援も望めない中で集中力と柔軟な発想を武器に窮地に一穴を穿ち、
そこから形勢を挽回し大団円を迎えるという様は或る種のカタルシスを感じる。
今回観劇した「母の法廷」。
簡素化したような法廷のセットを舞台に4人の女優さんが、とある裁判の様子を演じる。
被告人の母、裁判員、検察官、弁護士。
それぞれの役割と目線で劇は進行していく。
冒頭手続きから証拠調べ手続き、論告、弁論、結審という
刑事裁判の流れに従い芝居は淡々と進行していく。
それぞれの役割を演じる役者さんに感情移入する余地はなく
「刑事裁判の流れ」とでもいうようなマニュアルビデオでも見ているような展開に
傍聴人の一人になったような気分で裁判の進展を見ているような不思議な感覚は
演劇を見ている感覚とは異なる次元から眺めているようにも思える。
それでも演じる役、役者さんの個性から
被告人を溺愛する老齢域に入ろうとする母、
職務に忠実たらんとするベテラン検察官、
アクシデントに感情を翻弄される若い弁護士、
好奇心の塊のような一般市民を体現するかのような裁判員、
そんな4人の心情が少しづつ感じられるようになる。
言われないと、知ろうとしないと感じ得ない他人の気持ち、振る舞い、
裁判というシステムを通じて事象を告げられることで
自分の価値観だけでは読み取ることは出来ないこともあり
他人の価値観を理解することで初めて感じ得るものがある、
そんなことを改めて認識させられたようにも思う。
事件を起こしてしまうのも人、
事象を解明していくのも人、
判断を総合して裁くのも人。
芝居の主旨とは離れてしまうが
SNSを通じた他人との関わり方に時々違和感を感じることもある自分には
簡単で便利なツールを使うからこそ、
そのツールを使う"人"のことを意識し理解しようとする、
他人との適切な距離感を保ちながら良好なコミュニケーションを取るというのは
そういうことなんじゃないか…。
家路に着きながらそんなことを考えさせてくれた芝居ではあった。
■ 母の法廷
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