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2018年1月

2018年1月12日 (金)

好きなことを仕事にすること

好きなことを仕事にすると不幸になる…とはよく聞く話で、
好きな事だけやってて仕事として成立するとは確かに思えず
好きな思いを削ぎ落していったり我慢、妥協せざるを得ない場面は必ずある。
そういう時は好きな事だけに挫折感すら感じることもある。
その点では「好きなことを仕事にすると不幸になる」というのは一理ある。

しかし、好きな事だから諦めずにやり続けることが出来るというのも現実で、
好きな事を諦めてしまうのは、好きなことを裏切ることにもなるし
何より自分の好きという思いを裏切ることになる。
だからどんなにしんどくても頑張れるという側面はある。

1985年にバンダイに入社した自分ではあるが
多くの方はご存知の通り、入社前の大学生時代は模型誌を中心に
商業モデラーとしてそれなりの立ち位置は持っていたと思う。

しかし、入社して研修期間を終え事業部に配属になった時
当時の開発課の課長から入社前のキャリアは貴重なものではあるけど
それはあくまでも消費者という立場でのキャリアであり
メーカーの人間となった以上はこれ迄のキャリアは過去のものとして
これからは新たな気持ちで業務に臨んで欲しいと告げられた。

時代はガンプラブームと呼ばれた時期のピークも過ぎ
1983年に発売されたファミコンが猛威を振るい始めた時期。
入社年に放映されたZガンダムのプラモデル販売は後半から失速、
翌年開発に席を置いた自分はZZガンダムの番組担当として業務にあたることになる。
しかし業績は期待値には及ばず、限りある金型予算との兼合いもあり

登場MS全てを商品することは困難だった。
窮余の一策として事業部長が判断したのは従来金型を使った
アレンジデザインのMSの番組内の登用とその商品化で
ドワッジ、ディザートザク、リゲルグ等のMSが番組内で使われることになった。

この時に事業部長の指示のもと協力を仰いだのが旧知のモデルグラフィックスだった。
しかし、苦心しながらも担当してきたZZガンダムだったが
結局番組終了までに計画を満たすことは出来なかった。
ゲーマルクやクイン・マンサといったMSを商品化できなかったことも痛恨事ではあった。
そして何よりストリームベースの川口がバンダイに入ったんだから
ガンプラもこれまでと違って何か変わるはず…
という期待を抱いてくれていた人たちにも応えることが出来なかったのには
自らの非力を突き付けられた思いだった。

その後全社的な組織変更もあり、自分はホビー事業部を離れ
再びホビーに戻ってくるのは0083の最後期のタイミングで、
その後シルエットフォーミュラを経て
久々のTVシリーズとなるVガンダムの番組担当を受け持つことになる。

自分がホビー事業部から離れている間に0080や逆シャアといった
OVA、映画での新作ガンダムは作られていたが、
自分が戻ってきたころにホビー事業部の売り上げを支えていたのはBB戦士だった。
企画プレゼンテーションや予算組みもリアルガンダムはBB戦士の後塵を拝していた。
当時のホビー事業部担当役員からは
「川口が一番働いたのはバンダイに入る前だなぁ、もっと頑張ってくれよ。」
などと言われたこともある。

その頃だったと思うが事業部の酒宴の後に営業の先輩と話していて
多少の酔いもあったが号泣したことがある。
その時の理由ははっきりしている。入社から7年ほどが過ぎていたが
それまで何等実績と言えるものを出せていない自分がとにかく情けなかった。

そんな思いを抱きつつ担当したVガンダムもプラモデルシリーズは期待値には至らなかった。
ガンダムというコンテンツは当初バンダイではプラモデル商材からスタートし
その後ゲーム、カプセルトイ、カードといった商材に広がり
Vガンダムでは男児玩具部門からの商材も多数出された(SDはとりあえず別枠として)。
ファーストガンダムから14年が経過しており
全社的にも継続していくべきキャラクターとして認識されていたのが幸いしてか
Vガンダム終了後も新TVガンダムを展開することとなり紆余曲折を経てGガンダムに至る。

1994年のGガンダム誕生の過程は以前にも記しているのでそちらを参照いただきたいが
序盤のアゲインストの風を東方先生が吹き返してくれて
結果的には何とか計画に至ることが出来た。
その時にそれまでのTVシリーズを中心に商品ラインを構成するというMDとは
一線を画した商品が必要だという認識が事業部内に生じた。

当時の直属の開発課長と営業課長から
「Gガンが何とか結果を出せたし、 来年はガンプラ15周年だから
川口、お前がやりたい企画をやりたいようにやってみろよ」と言われた。
それがマスターグレードとなる訳だが、開発課長のアドバイスを貰いながら
ホビージャパンでの長期リリースを行い、
合わせて商業モデラー時代の人脈もそこで入社以来の封印を解き
外部スタッフとして協力を仰いだ。

Gガンダム後のガンダムWからは国内販売だけではなく海外展開も本格化し
ガンダム20周年以降海外でのガンプライベントも各国で開催され
自分もイベントに派遣されコンテスト審査や製作デモを行うようになる。

そして今に至る訳だが、
振り返れば好きなことをやりたくて入社して
その後の約10年間は鳴かず飛ばずで挫折感に苛まれる10年。
自分が本当にやりたいことが何時出来るという保証もない時間。
それでも続けてこれたのはとにかく模型が好きだったから。
そして模型が好きだという自分の気持ちを裏切らなかったからだと思う。

カワグチさんは好きなことを仕事に出来てずっと続けて来れたんだから幸せですよね。
そういわれることもある。
確かに今商品開発からは離れたもののイベントで各国を飛び回り
G-Base TYOというロケーションを得るに至ったガンダムというコンテンツに関わっていられる
というのは幸せなことだと思うのだが、それでも直接的にそういわれると苦笑いを禁じ得ない。

それでも模型が大好きだという気持ちが入社から32年間を支えてくれているのは間違いない。
好きなことを仕事にするというのは自分にとっては幸せな事だったんだよ。

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2018年1月11日 (木)

プラモを作り始める前のお楽しみ

プラモを作る際に途中で止まってしまう…という話はよく耳にする。
その理由は十人十色なのだけれど、
割と多いのがどういう風に作るか悩んでしまう…というものだったりする。

そういう時は予めどういうものを作りたいのか、
出来るだけ具体的にイメージすると途中で悩むことも減りますよ、とお応えしている。
そうお応えすると、それが難しいと言われることもある。

自分の場合、大概は作り始める前にどういうものを作るか決めているし
そのために必要な材料、ツールなどは用意した上で作業を始めるので
作業的にうまくいかないとか手間がかかる、表現上の試行錯誤といった状況から
作業が止まってしまうことはあるのだけれど
基本的には完成に至る道筋は一本道で、どういうものを作るかで悩むことはあまりない。

それは習慣なのか感覚の違いなのか???
と考えていてふと思ったのは
多分自分がスケールモデル先行で後からガンプラを嗜むようになったからじゃないか…
ということ。

スケールモデルの取説を見ると最終頁、
或いは別刷りで塗装・マーキング指示があるのだけれど
作り始める前にまずそこでどの車体なり機体を作るかを決める。
後期型虎壱であればノルマンディーにしようかウクライナにしようか…
ヴィットマンを乗せようか、名無し戦車兵で作るか…国防軍?親衛隊?
というような様々なイメージからの収斂で作ろうとする具体像が決まってくる。

使用する塗料も決まってくるし、ディテールの加え方も決まってくる。
そうして製作に入る前に出来あがったイメージを具体化させていくのが実際の製作になる。
そうしたシミュレーションはキットが無くても出来る訳で
新製品で来月〇〇が出ます!という情報を耳にすれば、その段階でも出来るし
んじゃ、アレが出たらこうしよう…というのは楽しみでもある。

ガンプラでも塗装・マーキング指示はあるじゃん…という声もあるだろう。
しかし、それは基本形を完成させるためのガイドであって
引き続き旧独軍戦車を例にするなら
大戦初期、車体はジャーマングレイで塗られていましたが、
中後期はダークイエローで塗装されるようになりました。
戦線によって様々な迷彩が施されましたがそこで用いられたのは
レッドブラウンとダークグリーンでした…というようなものだと思う訳です。

スケールモデルの塗装・マーキング指示のような紙面にするのであれば
サイド7での運用試験中の78はこう、アムロが持ち出して砂漠を放浪していた時はこう、
ジャブローでは、ソロモンでは、ア・バオア・クーでは…
という時期や装備を明確にしたものがあれば近似なのだけれど
RX-78-2はホンモノが無い訳で、それぞれの状況を自分なりに想像していくのが
ガンプラのお楽しみのひとつでもあると思っているし
固定化するのはナンセンスだとも思う。

ココは可動するから金属色で剥き出し感あった方がいいかな…
変形する時にココは擦れるから塗料剥げるんじゃないか…
砂漠で運用するからエアフィルター付けたい…
高速で大気圏内を飛翔するから光沢で仕上げよう…
といった様々な完成形のイメージは上記の延長線上にあると思う訳で
自分などはそういう些細な情報を盛り込んでいくことに面白さを感じていたりする。

もちろん実際に変形させてみたい、見た目がカコイイ…
というような機体の履歴と直接関係しないバリューを楽しむこともある。
それらをバリューの多様性と呼ぶなら
その多様性があるからこそ2020年には40周年を迎えるに至ることが出来ると思う訳ですよ。

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