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2017年5月

2017年5月31日 (水)

ライブ感と手軽さ・気軽さ

夏にG-BaseTokyoがオープン予定ということで
SNSで実演系イベントに関する振りを入れさせてもらった。
今だ全容をお伝えできないG-BaseTokyoに興味・関心を持ってもらう
というゲスい思惑も込々だったのだが、
概ね好意的に受け取って戴けている様子。

ロケーション的に行くのは難しいというご意見も勿論あり
実演系イベントに限らず配信というのも実際考えていたりはする。

ただ、G-BaseTokyoのコンテンツを企画していく中で
配信に関しては少し引っかかるところも正直ある。

有難がって見れ…などという不遜なことは夢にも思わないが
その場の空気に触れることで
思い入れを深め、感情移入が促されるという作用が生じ得る。
身近に感じてもらい機会あればいずれお台場に行ってみたい…
と思ってもらえるならば配信でG-BaseTokyoの諸々を広めていくことは
非常に有効なのだけれど、
配信で見たからわざわざ行かなくてもいいや…となると
むしろ逆効果にもなり得る。
気軽さ・手軽さは時として消費スピードを加速させ陳腐化を促す。

プラモ趣味を広めたい気持ちと陳腐化を恐れる気持ち。
その間が現実的な落としどころではあるんだろうなぁ。

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2017年5月29日 (月)

カッター3種


カワグチがカッターを使用する時に気にするポイントは
「切れ味」「耐久性」「取り回しの良さ」ということになるのだが
ここ1ヶ月ほどの間に3種のナイフがお道具箱の中に加わった。

20170529


■ NTカッター BD-2000(黒刃)
デザインナイフ用のBD-2000は自分で刃を折って使うタイプで
近年カワグチが頻度高めで使用している30度刃用のホルダーでも使え
切れ味が良く、切り口もきれいで細かい作業を行う際には絶大。
但し、切れ味の低下は早いようなので30度刃用ホルダーで
カッターナイフとして使用するよりも
本来のデザインナイフとして使用した方が良さそうに思える。
因みにこの替え刃は某プロモデラー氏のお薦めの言と併せ譲り受けたもの。

■ 3M Scotch チタンコートカッターPRO S型 内装用
替え刃にチタン合金コートを施すことで刃先の摩耗を防ぎ
耐久性を高めているとのことで業務用カッターとして販売されている。
刃加工も一般の替え刃よりも鋭角刃加工されているそうで
切れ味も良くなっているそうで、プラスチックの加工に使用した場合
切れ味、耐久性がどれくらい保てるのかは現在実地にて試験中。
3Mの中の人から使ってみて…とサンプルとして頂戴した。

■ 貝印 職専目透しカッター SS-110
東急ハンズ新宿店の工具フロアで見かけた刃幅6mmというスリムなカッターで
細かい作業を行う際の取り回しに良さげなスリムタイプ。
やや華奢なホルダーに強度的な不安は残るが
パワーカットするのであれば他を使用するので多分問題は無いはず。
切れ味は一般のカッターナイフと同等な印象を受ける。

というような具合で新たに使い始めたカッター3種だが
それぞれ自分の手への馴染み具合の相性というのもあるので
用途で使い分けしながら今しばらく使用感を試して(確認して)みたい。

しかし、新しいツールを手にすると心躍るのは男のサガなんだろうか。

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日本の始まりの物語

劇団歴史新大陸 第十回本公演「古事記-日本の始まりの物語-」を拝見した。

古事記という一大叙事詩を舞台演劇としてどのように観せてくれるのか、
というのは非常に興味深いところだった。
本日樂日を迎えられたということで書いてしまうと
イザナギとイザナミの国つくりから三貴神の誕生までは
ナレーションにてダイジェストが語られ、アマテラスの岩戸隠れから舞台は始まる。
その後、スサノオの高天原追放、クシナダヒメとの出会い、八岐大蛇退治、
世代が進みオオナムジと因幡の白兎、スセリビメとの駆け落ち、
オオクニヌシの国造り、国譲りを巡る高天原と中つ国の対立、国譲り
そして天孫ニニギの中つ国への降臨までが演じられた。

コンパクトにまとめられた「日本の始まりの物語」は長大な話を
非常にうまくまとめた舞台だったと驚きを感じた。

エピソードだけでも数本分の作劇にに耐え得る内容を2時間余に圧縮する訳で
その点からするとスサノオが八岐大蛇を退治するまでの流れはやや駆け足に思われ
観る側もストーリーを追いかけるのに精一杯となり
各神々への感情移入を促す個性の見え方はやや希薄な印象を受けた。
高天原で乱暴狼藉を働くスサノオのエピソードは語りの中で消化されたためか
荒ぶる神としてのスサノオの存在感がやや弱く感じられたというのも正直な印象。

しかし、因幡の白兎の個性が強く立っていて
以後のオオナムジを中心に動いていくストーリーはドラマチックではある。
オオナムジとスセリビメが出雲に向け根の国を後にするくだりは実に印象的で
スセリの父神である愛すべき乱暴者スサノオの父性は愛おしく感じられる。

理想の国造りを目指すオオナムジ改めオオクニヌシだが
優し過ぎるがゆえにやや優柔不断にも思えるオオクニヌシの姿には
自分などは三國志演義の劉備の姿が重なってしまう。
劉備の蜀は劉備没後に徐々に国力は衰え、やがて滅ぶことになるのだが
出雲ではオオクニヌシが2人の息子に治世を任せていたところに
高天原から国譲りを迫られ結果的には屈することになる。

流血の事態を避けたい最高神アマテラスの懊悩は人間的で
演じる鳳恵弥さんの凛とした立ち居振る舞いと
コミカルに表現されるアマテラスのギャップがいい塩梅で
人間味溢れるアマテラスとしてキャスティングの妙が感じられた。
全体に音響が強く感じられ台詞と被ると聞き取りにくい箇所もあったが
恵弥さんの声の張りは強く、その辺りもアマテラス然としていたように思えた。


舞台を見終えて断片的に記憶していた古事記のエピソードが
神々の名前と一体となり消化できたような気がする。
観てよかった…という思いと共に、
改めて「古事記」を紐解いてみたいとも思うが、
「古事記」というとお勉強的な響きがあり腰が引けてしまう向きもあるやに思う。
しかし、語られる話や登場する神々は実に人間臭く、
ギリシャ神話と神々に見られる人間臭さとそれほど変わらないようにも思える。
思う以上に敷居は低いのではなかろうか。

天皇陛下の後継に関する話題が様々に言われる昨今、
皇室の系図を辿っていけば古事記の世界に行き着く訳で
万世一系という考え方には異論もあろうが、学術的な考証・検証とは別に
祖神である天照大御神から邇邇芸命の天孫降臨を経て
神武天皇より今に至る皇室の存在は日本人の精神形成の根底に根付くものであり
皇室の話題を耳にした時に太古の神々にまで思いを馳せる…
というのは全然アリだと思う。

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