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2017年3月

2017年3月31日 (金)

完成品像を思い描くということ

プラモデルを作る時に
どんなふうに作るか(完成形イメージ)というのを決めて自分などは作る訳ですが、
そうした段取りというか手順がわからないとおっしゃる方が案外いらっしゃる。
俺的には、わからないと言われることがわからなかったのだけれど、
よくよく考えたらスケールモデル経験のない方はそうなのかもしれないと理解した。

スケールモデルの場合、
塗装図を見て、或いは資料を紐解いて
最終的に完成させる姿を決めてから作り始める。

四号戦車ならどこで使われた車体にするのか決めないと
装備も変わるし塗装色が決められない。

戦艦大和なら竣工時にするか終焉時にするかを決めないと
武装・装備が変わってくる。

零戦なら艦上機にするのか陸上基地配備機にするのか決めないと
仕上げも変わってくる。

部隊マークや車体・機体番号も付随して予め決めることになる。

その他諸々パーツの選択も予め決めておく必要がある。

こうしたことは軍用モチーフに限ったことではなく
F1マシーンならいつのどこのサーキットを走った車体かを決めないと
スポンサーロゴなども変わってくる。

スケールモデル経験者はプラモを作るという行為の中に
完成形を想像するというのは無条件で組み込まれている(多分)。
のだけれど、ガンプラを普通に作る場合、必ずしもそうした工程は必要無い。

以前DHM誌でRGガンダムやMGゲルググを使って
時期によって仕上げのアプローチは変わるんだぜ的な記事を上げてもらったが
その前段となる完成像を思い描くという段取りをセットで訴えないと
ピンとこない人も多かったのかもしれぬ。

模型趣味の普及を生業とする身の上、
まだまだ枯れて黄昏る暇は無さそうである。

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2017年3月26日 (日)

SASUKE 20th

TBSのスポーツ・エンターテインメント番組「SASUKE」
今晩の放送で20周年を迎えるのだそうだ。
正直なところ、積極的に見るようになったのはここ数年で
それまでは番組の存在は知っていたけれど全く興味の対象外だった。

放送日には夜の放送に先駆け昼間に番宣番組が入るのだけれど
そこではSASUKEに人生をかけてしまった人たちのプロフィール、
SASUKEへの思いなどで番組が構成される。
そういう人達の姿を見ていると放送を見る際にも思い入れが加わる。
それまでの単にスゲェなぁ…という印象は
チャレンジャー個々への感情移入から一喜一憂する思い入れに変わる。

それまで全く関心の無かったものでも
中の人の思いやドラマを知ることで一転して興味・関心の対象に変わる。

これはどんなことにも共通するもので
自分が実名でブログやTwitter、Facebook、Instagram等のSNSをやってるのは
"中の人の発信"というスタンスを意識してのものという側面はある。

時々炎上とかアンチといったリスクを危惧してくれる人もいらっしゃる。
今迄も身をもって経験してきたこともあるし
ネットの怖さを知らない訳ではないが、様々なリスクを負っても
中の人の発信というスタンスを採る意義はあると思っている。

企業の公式サイトというのは
新しい情報を求める向きには有用なのだと思うが
往々にしてそれほど面白いというようなものではない。
公式であるがゆえに中の人が感じられないという例は少なくなく
それ故に読み込みたいと思える深みが感じられなかったりする。

情報という消費物は得た段階でその価値は基本的に無くなってしまう。
その情報をきっかけにもっと知りたいとか関連も知りたいといった
情緒面の欲求を喚起してもらう一助として
"中の人が見える、感じられる"というのは案外重要なのではないかと思う訳です。

特に俺らが扱っているのは
無ければ無くても人間が生きていくうえで不可欠なものでもない嗜好品な訳で
中の人がノレないものはお客様が対価を支払ってでも手にしたい…
と思ってもらえるモノにはならんと思う訳です。

中の人云々などというのはその効果の数値化などは出来ない訳で
会社のエライ人からすれば無駄に思えるモノかも知れないし
カワグチがSNSで垂れ流している言葉が必ずしも有用なモノだとは思ってないし
大半が無駄話と言われてしまうと否定はできないのだけれど
そもそも数値化など出来ないお客様のマインドというようなものを相手にしている訳で
今もこうしてブログを更新できているのは
ある意味健全な状況なのではないかと思う訳です。

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2017年3月 7日 (火)

フレームの中のリアル

昨晩NTV系でオンエアされた「世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史」という番組の中で
映画「ブラックレイン」に出演された國村隼さんが巨匠リドリー・スコットからの演技指導の話をされていて
その時に出てきた「フレームの中のリアル」という言葉が印象に残った。

抗争シーンで拳銃を扱う際に撃った後、顔のそばに銃を引き寄せるようにとのことで
演者としては非常に不自然さを感じるものだったそうだが、
リドリー・スコットは「君にとっては不自然でやりにくいかもしれないが、
カメラのフレームの中ではそれがリアルに見えるんだ。」
的なことを言ったらしく國村さんは劇中で銃を扱う時に意識して従ったらしい。

多分、観客の視点を縛らない舞台劇であれば
普通に振舞うことでリアルを見せることが出来るのだろう(誇張はあったとしても)。
TVや映画のような見る人の視点を意図的に向けさせるものであれば
そのフレームの中で感じられるリアルというのはよりリアルを感じさせるための演出が加わってくる。

演者として不自然な演技をフレームの中ではよりリアルなものとして印象付けさせる演出。
模型も同じじゃん…と、その時思った。

自分などはリアルに見せる、感じさせるための記号というフレーズはよく使うが、
厳密に考証していくとおかしいと思われることでも、それがあるゆえにリアルに感じる、
例えば関節などにディテールとして入れられる油圧シリンダー風のもの。
未来の金属、塗料、仕上げがどのようになってるかわからないけれど
塗膜の剥がれや錆的な表現を加えることで長時間運用されている機体のリアルを表現出来る。

ディオラマなどもそう。
ブラックボックスのような視線を限定する様式などはその最たるものだが
通常のディオラマも同様で、
「フレームの中のリアル」を意識することで見る人の印象は大きく変わってくる。
慣れないうちは平板な地形の上にMSをレイアウトするくらいでも満足出来る。
やがてディオラマの広さと役者であるMSの大きさを考え適正サイズで構成するようになる。
平板な地形から建物や地形の変化で高低差をつけるようになる。
置かれるMSの状況を踏まえ演技をつけさせる。
フレームの中の世界をよりリアルにするために大道具、小道具などを配するようになる。
全ての作業がディレクターとしての向き合い方になってくる。
更に見る人に作品を通じて表現したいことが全て伝えられるよう構成するようになる。
見る人(観客)を意識することで演出方針は定まり、
何をすべきか、何が足りないのかが感覚的に理解できるようになる。

SNSなどで画像をUPする、コンテストに出品する等
他人に自分の作品を見せることを前提に製作する場合、
そうしたことを意識するしないでは与える印象は大きく変わってくる。

フレームの中のリアル、リアルという記号の付与、
モデラーとしてスキルを高め、技法を会得するのに加え、
自らの作品に演出を加えるというのもスゲェ作品を生み出すチカラになるのではないかと思う。

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