2020年4月 9日 (木)

すいプラチャレンジ(仮)

目的:緊急事態宣言期間中に積み・作りかけのキットを完成させよう。

概要:プラモは自分のできる範囲で楽しみながらちょっとだけ新しいことにチャレンジしてみて
   出来る範囲を少しづつ広げていくとそのうちいろんなことが出来るようになるよ…
   とは折々に言ってますので、プラモを完成させる、新たなことにチャレンジすることで得られる
   達成感を感じ、併せてプラモ製作スキルもあげて模型趣味を深めて頂きたいと思います。

参加:新たに買い出しに出るのは本末転倒なので、
   自宅にあるものを使ってガンプラを緊急事態宣言期間中に完成させる。
   その際に今までやったことが無いこと、やってみたいことをひとつチャレンジ項目として加える。
   完成したら #すいプラチャレンジ のタグをつけて画像(メインカット1枚)と
   チャレンジ項目に関するコメントをつけて投稿。

締切:現時点で緊急事態宣言の期日とされている5月6日(変更の場合アリ)

発表:緊急事態宣言後のライブ配信時に作品とコメントを紹介。

禁止事項:基本的にはGBWC規定に準じる。
     特にガンダム以外の他者の権利を侵害するおそれのある作品は不可。
     ベースキットはガンプラであること

補足:やりたいこと、ためしてみたいことを実現するためにはどうしたらいいのかわからなくなった時は
   #すいプラチャレンジ へ投稿いただけますとカワグチが相談に乗ります。
  (解決するかどうかは分からないけど)

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【 4/14 更新 】
外出自粛期間にお楽しみを見つけよう…ということで個人的に実施を企んでいた本企画。
ガンダムベースの正式なオンラインイベントとしてやりましょう、
という弊社Web担当スタッフ氏らからのバックアップをいただき
改めて応募要件などを見直し実施する運びとなりました。
詳細は改めて公式Twitterから発信されますのでご賛同いただいておりました方は
公式ベースで引き続きご参加くださいませ。

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2019年12月 9日 (月)

カワグチ流の起源はこんなところ…かも

12/7にガンダムベース東京で製作講座を行った。

ツヤに関する小理屈をお聞きいただき、
実際に缶スプレーでクリアコートをお試しいただく…
というのがザックリした内容だったのだが
昭和的な例えを引き合いにしたりということで
お若い参加者さんにはピンとこないこともあったのではないかと
とりあえず帰宅後は独り反省会など。

記憶に残っているところで自分が初めて"プラモデル"と接したのは
1960年代の後半頃で、まだ門司にいたころ。

当時の知識的には模型用塗料もよくわかってなかったし
パテなんてのも全然知らない訳で、
接着剤もキットに同梱されていたものを使うレベル。

某月刊少年漫画誌ではプラモ教室的なページがあり、
塗装する時に歯磨き粉を塗料に混ぜるとつや消しになるぞ! (歯磨きがチューブではなくて粉粉の時代)とか、
鉛筆の芯を削って粉にして戦車の砲口に擦り付けると煤汚れに見える! とか、
噛み終わった後のガムを戦艦の主砲の根元に付けると防水布の表現ができる! というような"金言"をとにかく試してみたかった。

今思えば「マジか?!」と思えるようなネタもあったし
今であればツールやマテリアルも豊富にあるので
そんな技法は過去の遺物でしかないのかもしれない。

昔はよかった…などとは思わないし
便利になったプラモ環境を思いっきり享受しているのだけれど
使えるものは何でも使う、作りたいものを作るのには手段を択ばない
という俺流のプラモに対する意識というのはそんな原体験があったからなのかもしれぬ。

スマートなプラモアーティストにはなれるとは到底思えないので
これからも昭和を引きずりながら好きなものを作ってきますわ。

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2019年11月18日 (月)

怒涛の作りモノ仕事の合間に思うこと

ここ半年から1年くらい常に作りモノ仕事を抱えて
納期に追われる日々を過ごしている。
模型趣味を生業とした訳でそれは致し方ないところではある。

趣味を仕事としたことでしんどいことは多々ある。
反面、ありがたいことももちろんある。

多くの作品、モデラーさん、製作技術、ツール、マテリアル等々と出会う機会をいただいている。
そこには必ず刺激があり、自分が作る時に反映させたくなる気持ちに限りは無い。

特に業務上製作する際にはモチベーションを維持する上でも
そうして得た刺激を加えルーチンにならないように意識している。

のだけれど、コレがなかなか難しい。
お試しでやってみようとすることは未だ自分の中で消化しきれていないことが多く
完成を見ても馴染んでなかったりするんだよなぁ。
納得度も満足度も及第点には及ばないことは多い。

技法にしてもツールにしてもマテリアルにしても
それを所有することが目的になってる間はまだ消化しきれてないんだと思うし
使いこなすのでいっぱいいっぱいで自分の感覚に馴染む域には到達しきれていないというのが
作品中に馴染んでない、浮いてたりする要因なんだろうね。

食いモノでもそうだけど消化するまでには様々な臓器を経て時間もかかる訳で
得た技法なり製作環境なりはある程度の時間の中で繰り返し用いて
自分の血肉にしていくしかないんだろうなぁ。

とりあえずお試しを実践することで引き出しが増えた気になってしまうのだけど
引き出しを開けてもカラじゃしょうがないから使えるようにしてかんと…とは思う。

手軽に知識なり経験なりを得ることが出来、
限りないセンセイやお教室が隆盛となっている昨今の模型環境だけに
自分の足元は固めときたいかなぁ。

マネから始めよ、とは昔からよく言われたけど
マネから始めて俺のモノに消化しないと
いつまでも納得度、満足度は満たせそうにない。

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2019年5月31日 (金)

アーマーモデリング6月号特集「土が決め手の泥試合」

 昔々、"How to Build DIORAMAS"からいろんなことを学んだ中に
地域感を表現する…的なことがあった。

一言で"密林"と言っても植生は地域によって変わるし、
"砂漠"と言っても砂砂漠もあれば岩砂漠もある。
"積雪"もパウダースノーとボタ雪では積もり方も違うし、
湿度の高い地域と乾燥した地域とでは空気の透明感も異なる。
折々に触れているがHTBG2の時には小田さんとそんな話をしながら
個々の作品に向き合っていた。

ガンプラコンテストで海外に赴くようになり
地域によって街の色が異なるというのを実感した。
植生によって緑の色も変わる。
海流によって海の色も変わる。
そして、土の色も異なる。

情景模型を作る際に泥の表現で地域を紐づけるというのは納得出来るし、
自分が情景作品を製作する時には意識したいポイントだとも感じる。

願わくば
「ノルマンディにその泥はおかしい! こうあるべきだ!」
というような窮屈な話に終始するようなことにはなって欲しくないなぁ…とは思う。

東京というエリアで考えても新宿中央公園と代々木公園の土色は多分違うだろうし、
地面表層と掘って現れる土も違ってくる。
晴れた日と雨の日では土と泥という違いも出てくる訳で
「泥試合」のような具体的なサンプルは
難しい顔をして間違い探しのガイドとするよりも
作品を作る時に表現の幅や発想を広げてくれるもの、
と捉えるのが精神衛生上も遥かにヨロシイと思う。

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2019年4月30日 (火)

平成最後の日

本日、天皇陛下が退位され明日皇太子さまが新たな天皇に就かれる。
TVなどでは「平成の大晦日」と銘打って、
文字通り年末特番揃いのような様相を呈している。

ちょっと騒ぎ過ぎだろ…と、思ったりもするが、
冷静に考えると、いわゆる大晦日は12/31、365日のうちの1日。
平成から令和へのゆく年くる年は30年ぶりになる訳で、
そりゃ平成という時代を振り返りたくなるのも人情…とも思える。

しかも、近世以降の歴代天皇の皇位継承とは異なり
陛下のご意志で然るべき時に皇太子さまに次代を託され上皇陛下になられる。
このような形でのご譲位は200余年ぶりと聞く。
ならばTVなどが平生の大晦日以上に肩に力が入るのはわからんでもない。

平成振り返り結構。
ロイヤルファミリー特集結構。
あんまり慶祝に関係なさそうなバラエティノリは…まぁ、どうかと思うが
静かに穏やかに平成を、陛下への思いを振り返り感謝し、令和に思いを馳せる
という気持ちは日本人として大事にしたいものである。
そして、譲位され上皇陛下となられた後も
上皇后陛下と共に末永くお健やかに過ごされることを祈ってやまない。

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2019年4月 5日 (金)

「母の法廷」

個人的に医療ドラマ、法廷ドラマというのは好きで
TVで放映されているとついチャンネルを合わせてしまう。

圧倒的に不利な状況から諦めることなく、
支援も望めない中で集中力と柔軟な発想を武器に窮地に一穴を穿ち、
そこから形勢を挽回し大団円を迎えるという様は或る種のカタルシスを感じる。

今回観劇した「母の法廷」。
簡素化したような法廷のセットを舞台に4人の女優さんが、とある裁判の様子を演じる。
被告人の母、裁判員、検察官、弁護士。
それぞれの役割と目線で劇は進行していく。

冒頭手続きから証拠調べ手続き、論告、弁論、結審という
刑事裁判の流れに従い芝居は淡々と進行していく。

それぞれの役割を演じる役者さんに感情移入する余地はなく
「刑事裁判の流れ」とでもいうようなマニュアルビデオでも見ているような展開に
傍聴人の一人になったような気分で裁判の進展を見ているような不思議な感覚は
演劇を見ている感覚とは異なる次元から眺めているようにも思える。

それでも演じる役、役者さんの個性から
被告人を溺愛する老齢域に入ろうとする母、
職務に忠実たらんとするベテラン検察官、
アクシデントに感情を翻弄される若い弁護士、
好奇心の塊のような一般市民を体現するかのような裁判員、
そんな4人の心情が少しづつ感じられるようになる。

言われないと、知ろうとしないと感じ得ない他人の気持ち、振る舞い、
裁判というシステムを通じて事象を告げられることで
自分の価値観だけでは読み取ることは出来ないこともあり
他人の価値観を理解することで初めて感じ得るものがある、
そんなことを改めて認識させられたようにも思う。

事件を起こしてしまうのも人、
事象を解明していくのも人、
判断を総合して裁くのも人。

芝居の主旨とは離れてしまうが
SNSを通じた他人との関わり方に時々違和感を感じることもある自分には
簡単で便利なツールを使うからこそ、
そのツールを使う"人"のことを意識し理解しようとする、
他人との適切な距離感を保ちながら良好なコミュニケーションを取るというのは
そういうことなんじゃないか…。

家路に着きながらそんなことを考えさせてくれた芝居ではあった。

母の法廷

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2019年3月11日 (月)

3.11 震災の時、何をしてましたか?

自分は浅草バンダイ本社で来客打合せ中に大きめの揺れを感じ
打合せ後にお客様を見送った後
「電車動いてるかなぁ…」と心配しながらフロアに戻り
地震情報確認のためにつけられたTVを見やった。

画面に映るリアルタイムの被災の状況に
とんでもないことになっている…というのを認識し
津波被害に呑まれていく街を只々見ているだけだった。

営業スタッフが被災地の流通各社様へ連絡を取ろうとしている傍らで
自分らは通常業務に戻ったが、
TVから流れてくる続報に釘付けになっていた。

暫くして地震に伴う公共交通機関の麻痺が見られるため
早期帰宅の推奨という旨の総務通達が発せられた。
交通状況が今一つ掴みきれず、仕事しながら様子見を続けた。

夕方近くになりオフィスの窓から見える江戸通りには
徒歩で家路に着く多くの人たちの姿が見られ
都営地下鉄線も停まっていることを察した。
既にタイミングを失したことを悟り、
都営地下鉄線の復旧を待つことに決めた。

各事業部フロアには同様に復旧を待つ社員が残っていたが
夜になり社員食堂で居残り社員に対し、
軽食と希望者には非常用毛布が配られた。
軽食では足りない社員が近くのコンビニに買い出しに出たが、
ほぼ手ぶらで戻って来た。

都内主要駅からの帰宅者状況がニュースで報じられるが
公共交通機関は完全に麻痺している状態で復旧のメドは立っていない。

電話は繋がりにくい状態になっていたが
Twitterが機能していたのでTwitterで各方面との連絡を取る。
泊まり込みを覚悟して後はニュース、SNSで情報を追いながら
友人とコミュニケーションをとり時間を過ごす。

デスクで仮眠もとりながら夜明けを待つ。

空が白んできた頃、
ようやく都営地下鉄線復旧の報が総務から全社員に伝えられる。
通達を聞いた社員が通用口に向かい三々五々帰宅の途についていった。

早朝の都営浅草駅。
ホームに降り立つと予想外に人影はまばらだったが
前方にお母さんに手を引かれた二人の幼児が
黄色い防災ヘルメットを被っている姿を目にし
非現実的な一晩から現実に連れ戻された思いがした。

その後は復旧なったとはいえ停まっては動きを繰り返す通勤帰路に
只々疲弊するのみだった。

<下画像は震災当日にUPしたもの>
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2019年3月 8日 (金)

「こと~築地寿司物語~完全版」

"運命を受け入れる"というのと"運命に流される"というのは
似て非なるものだと思う。

抗いようがない運命というのもあれば、
自らが選択した結果訪れる運命というのもある。

"運命を受け入れる"というのは正対し自分はどうするのかを考えアクションを伴う訳で
その姿勢は流されるという受け身な姿勢に対し、極めて主体的なのではなかろうか。

それが抗い得ないものでもどう向き合うか考え行動を起こせば
受け入れた後に気持ちを切り替えて歩を踏み出すことが出来る。
踏み出した後は後悔の念や未練のようなものに捕らわれず進むことが出来る。

避け得ない運命には暖かい運命もあれば極めて暴力的な運命もある。
特に後者は考え行動する力を根こそぎ奪っていく。
力を失い立ち尽くし運命を嘆くだけであれば踏み出すべき道も見い出せない。
"運命を受け入れる"ということは最大限の覚悟と責任が伴うことなのだと思う。

そんな覚悟と責任を背負い続けられるほど人間というイキモノは強くはない。
手を差し伸べてくれるのはやはり心を許した仲間なのだろう。
"絆"というのはそうした人たちとの信頼、愛情を伴う関係なのだと思うし、
これもまた受け身の姿勢ではなかなか築けるものではないと思う。

"運命を受け入れ、その後、努力する"というのは
そういう事なんじゃないかなぁ…。


などということを考えながらの2時間余。
「運命を受け入れる~」という言葉は
舞台冒頭に主人公である ことさんから発せられる。

大正時代に日本橋の寿司屋に嫁ぎ
関東大震災で日本橋市場から焼け出され
芝浦~築地への市場の移転に伴い築地で再開した玉寿司。
太平洋戦争が始まりご主人が病没され築地市場も空襲に晒される。
戦後の焼け野原からご主人亡き玉寿司を再建し
代を重ね市場は築地から豊洲へ拠を移す。

女性主人ことさんを軸に語られる築地市場の物語であるが
今回3度目の公演となる。

昨年拝見した2回目の公演では鳳恵弥さんが演じられることさんの強さと
山本圭壱さんが演じられたご主人栄蔵さんの優しさが印象に残る舞台だった。

今回お二人の好演はもちろんなのだが、築地玉寿司の中の人たちと集う人たち、
そして彼ら彼女らが息づく築地という世界がとても愛おしく感じられる舞台だった。

その中で自分的に印象に残ったのが、長台詞をものともせず
ことさんの娘さんの弥生さんの少女時代を演じ切った歌田雛芽さんの存在感と
ことさんの息子さんの幼馴染で奥さんとなる典子さんを演じられたAyanoさんの
優しい笑顔を絶やさない中に垣間見える女性の強さ。
そして今回はことさんの一代記というよりも群像劇に近い印象が
玉寿司に集う人たちを演じられた皆さんから感じられた。

巡り合わせで今の自分がある、という言葉をよく使っているのだけれど
その巡り合わせというのは人であったり出来事であったり様々だが
それも運命というものの一面なのかとも思うし
100%ポジティブとは言えないけれど、
巡り合わせに向き合って考え呑み込むようにはしてきていると思う。

今まで覚悟と責任を重く背負うほどの運命には出会ってはいないが
いざそんな局面に向き合った時に
立ち尽くし、下や後を向き続けるようにはならないようにしたいものだ。

こと~築地寿司物語~完全版
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2018年6月 9日 (土)

「くるくると死と嫉妬2018」を観て…

大ヒットシリーズ≪アンフェア≫の原作者であり、
また数々の人気ドラマの脚本も担当する秦建日子が、
臓器移植や無差別殺人など現代に蔓延る問題を取り上げ、
愛とは、正義とは何かを問いかけた話題作が装いも新たに2018年度版として公演。
平成の時代が終わりを告げようとする今、
あなたはこの物語から何を受け取りますか?

演出には神奈川を中心に様々な演劇を発信し、
演出のみならず多くのプロデュース企画も行う笹浦暢大。
総合演出として唐十郎が育てた唯一の演出家、中野敦之が控える。

出演は秦建日子と同じくつかこうへい門下の鳳恵弥が主演を務める。
また、役者としての評価も高い極楽とんぼの山本圭壱や
劇団四季のTOP女優として数々の作品でメインキャストを務めて来た秋夢乃、
宇宙刑事シャリバンなどの主役など日本を代表するアクション俳優、渡洋史などベテラン陣に加え、
映像、舞台と活躍の場を広げる北村優衣や屋久島アイドルのかずみーぬなど若手の注目株も出演する。
<以上、作品紹介より>


自分は作劇のお作法もセオリーも知らないので
散漫にはなるが感じたままにこの作品に触れてみる。

開演時間となり暗転した舞台に鳴り響く重々しい音楽。
後に様々な事件・事故に巻き込まれる、
或いは当事者となる演者さんが舞台に並びお芝居は始まる。

植物状態、脳死、臓器移植を要する重症患者たちが並ぶ病院で近親者たちは
或る者は絶望し、或る者はパニックに陥り、また或る者は冷静に受け止めようとする。
重症患者たちは理不尽な無差別殺人事件の加害者であり被害者としてそれぞれのドラマが語られる。

それと並行して余命を宣告された女性と彼女を愛する男性の話が加わってくる。

既に時系列は自分の中で混乱し、ストーリーを追いかけるよりも
エピソードの断片からそこに関わる人々が抱いているものに目を向けることに意識が変わっていた。

現実の世界でも連日様々な事件・事故が報じられる。
その報を知った者は自分の世界には起こり得ないこととして
観劇しているような立ち位置で受け止める。

事件が醜悪であればあるほど、衝撃的であればあるほど
ニュースメディアは加害者の異常性を追い
怪物性を際立たせられた加害者は平穏な生活を営んでいるものの目には
自分たちとは別種のモノのように写っていく。

だが、生まれついての怪物という存在は果たしてあるのだろうか。
誰しもが心の奥底に闇を孕んでいるはずで
それが表出した結果が異常な事件の加害者の姿なのではなかろうか
その点では誰しもが怪物に変ずる可能性を持っているように思う。

疑心は暗みに鬼の姿を見せ、更に疑心が募っていくと悪鬼を生じさせる。
悪鬼に駆られた人は心の闇に支配され、
時として誰もが想像し得ない暴挙に走らすこともある。
誰もが意図せず怪物と化す可能性を秘めているのではないかと思う。

理不尽な凶行に晒された劇中の人物は絶望から狂気に蝕まれていく。
そうした狂気は伝染するかのように社会に広がっていく。

その反面、劇中では余命を宣告され絶望を感じたであろう女性が
理不尽で抗えないモノを受け入れ前向きな意識に転化させた姿がある。
絶望を超えた彼女の姿は愛おしく、強さすら感じる。

滅私奉公的な意識を必ずしも無条件で良しとは思わないが
エゴが溢れる昨今、閉塞感に似たフラストレーションを感じることも多いが
そんな世の中を少しでも住み易く感じるためには
絶望を受け止め超えていく姿勢を保つことなのかもしれない。

人間、一番大切なものは自分であり
大切に思い愛し守りたい範囲は自分を中心に近親者、友人・知人、他人へと
自分から距離が離れるほどに次第に希薄となっていく。
人の数だけ思いの同心円はある訳で
それが交錯する時、共感も生まれることもあれば軋轢を生じることもある。
軋轢よりも共感が生まれる割合が多ければ
きっとその社会は住み易く感じられるのではないかと思う。

劇中で「遠くの者を愛する」という言葉が用いられる。
自分なりの解釈になるが
希薄になりがちな他人への思いを意識することで作品紹介で問われた
「愛と正義」を認識し保てるのではないか。
劇中の様々な人物が辿り着いた場所はそんな境地なんじゃないか。

そんなことを感じさせてくれた2時間ではあった。

くるくると死と嫉妬

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2018年3月26日 (月)

ホビージャパン2018 5月号 第1特集冒頭頁の用法

HJ誌5月号の巻頭特集はガンプラウェザリングということで
頭のところで長江里加さんをお迎えして初めてのウェザリング
的なページを見開きでいただいている。

HJ誌の読者さんには勿論普段からガチで作ってらっしゃる方も多いので
素組みに汚しを加えることに新味は感じられないかもしれない。
ただ、ネットコミュニティや展示会などオン・オフラインで
様々な人と接する機会が増えている昨今、
プラモ初めましてな方と接することもあるだろうし
指南を請われることもあるかもしれない。
そうした時に極力手軽に"汚し"という俺ガンプラ作りの第一歩を
経験していただくということを前提にした中身で誌面協力させていただいた
というのが今回の見開きということになる。

長江さんご自身もプラモ経験は持ってらっしゃるので
今回は何でそんなことするの?系な話も織り交ぜながら進行し
実際に"汚し"にチャレンジしていただいた訳だが
途中から自分の想定していた全体の記事の流れに加え
ちょっと試してみたいことがあって
その流れで汚しお試しを行ってもらうことになった。

それが後半の実践編になる訳だが
最初に長江さんの施術の汚し被験体となる78ガンダムのポーズを決めてもらう。
この時は制約無しで思うがままにポーズをつけてもらう。
ポーズを決める段階で78ガンダムが何をしているところなのか
というのは施術者のイメージでは多分まとまっているはず。

次に何をしているところなのかを具体的に言葉にしていただく。
あわせて周りの状況もキーワードだけでも挙げてもらう。

状況が具体的になってきたところでどう汚れるかを考えてもらう。
実際に78ガンダムを手にぶんどど的に状況を表現してもらったりもする。

ポーズを付けた78ガンダムは18m級のロボな訳で、そのポーズをとらせる過程で
どこに傷がつくのか、どんなふうに傷がつくのか
どこが汚れるのか、なにで汚れるのか、どんなふうに汚れるのか。
といったことを想像してもらいながらレクチャーした技法で作業を進めてもらう。

今回選んだポーズはサッカーの試合で見られるゴールを決めた時の歓喜のポーズ
とのことなので、状況的には膝から滑り込む感じ。
ただ、芝上ではなく砂漠で、ということだったので、想像を積み重ねてもらう。

滑り込んできた時に一番傷つきそうなのは…ひざ、あと爪先もちょっと
砂を一番かぶるのは…ひざの上あたり
脚で汚れが付きそうなのは…ひざから脛、足首まで前側全体
砂埃が巻き上がって汚れそうなのは…腰から胸のあたりまでは来るかな

というような具合で想像を具現化してもらう。
傷のつき具合、汚れ具合を想像しながら
様々な表現方法の中から表現し易そうな技法を使い仕上げていく。
以前から折々で使っている"模型的プロファイリング"ということです。

本来はこれにディオラマを意識してもらうと
ロボの重さ、スピード、方向、地表の様子…といった具合に
もっと具体的なシーンが想像でき、表現することができる。

実際に作業を行ってくれた長江さんが一連の作業をやってみて
どのように感じられたかはわからないが
プラモへの関心の度合いが深まってくれたようであれば幸いではある。

自分もSNSでランバ・ラル特攻の時のグフ作りたい…などと言ってるのだけど
そうした想像の積み上げをやってると実際に作りたくなる訳で
多分作りながらももっともっとな感じでネタを入れたくなるんだろう。

こういうのはモデラーさんの集まる酒宴などでは結構盛り上がるネタだと思う。
あとは盛り上がった後、忘れないで作り始めれば
「テーマある作品」にはなると思う。

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